泉健太・立憲民主党代表は“政権交代のシンボル”たりえるか? 党幹部からは「人柄はいい。聞く耳もある。しかし自分の意見がない」評も
聞く耳はある、意見はない
泉氏は北海道石狩市出身。父は市会議員だった。 中学・高校時代は野球部に所属し、立命館大学時代から民主党京都府連の常任幹事を務めるなど政治にも関わっていた。 卒業後は当時の民主党参院議員・福山哲郎氏の秘書になり、2年後の2000年総選挙に25歳で出馬、落選したが、2003年総選挙で初当選(京都3区)。以来、比例復活を含めて連続当選(8回)している。 政治キャリアは長いが、ポスト面では遅咲きだった。民主党政権時代は当選同期の議員が大臣や副大臣を経験する一方で、泉氏は政務3役では一番格下の「内閣府政務官」を務めただけだ。 民主党政権崩壊後、野党が離合集散を繰り返すなかで、旧・国民民主党から旧・立憲民主党との合併に参加。立憲民主党の創設者だった枝野幸男氏が2021年総選挙に敗北して代表を辞任すると、若手の支持を得て代表に就任した。 元民主党代議士の嶋聡氏はこんな印象を持ったという。 「彼は地味なタイプだが、若手に人望があった。政治家は公の席では互いに褒め合うけれども、内々の席では批判ばかり言うものです。とくに同期当選はライバルだからその傾向が強い。 ところが、泉さんのことは同期の議員がみんな『あんないい人はいない』と誉める。悪口を聞いたことがない」 代表選でも、「若い頃に泉さんと一緒にボランティア活動などをしたという地方の議員が全国から応援に来てくれた」(泉選対の元スタッフ)という。
だが、いざ代表に就任すると、メッキが剥がれていったようだ。同党現役幹部の1人が匿名を条件に語る。 「泉代表は、人柄はいい。聞く耳もある。しかし、自分の意見がない。幹部の会議で政策を決める時に、『代表はどうしたいのか』と聞いても、『ここにいるみんなで決めよう』と言うばかり。代表なのだから『オレはこうしたい』と言ってくれたら、みんなその方向で考えるのに、その意見がない。政策へのパッションがあまりに足りないと感じる」 それが立憲民主党の政策アピールの弱さにつながっている。元民主党代議士で国際政治経済学者の首藤信彦氏が指摘する。 「2009年の政権交代の時は、民主党はマニフェストを掲げて政権を取ればどんな政策を行なうかを具体的に国民に示した。実現できなかったことも多いが、現在の高校無償化などの道筋をつけたのは民主党でした。比較すると、立憲民主党は与党を批判、追及しているけれども自身のマニフェスト、政策がない。だから、仮に泉さんが総理になったとしても何をやるのかが判然としない。今の自民党の政治、政策とどう違うのか、それが分かりません」 やはり民主党OBで建設官僚出身の古賀一成・元代議士は泉氏の「総理の資質」を疑問視する。 「泉さんは学生時代から政治に関わり、社会人経験、サラリーマン経験がほとんどないまま若くして国政に出た。だが、総理大臣の職務は国を動かす、つまり、巨大な官僚機構を動かすことだから、社会人として人の動かし方、組織の動かし方の経験を積み、そのうえで政治家になるというキャリアが必要だと思う。 泉さんが総理として役人の行動原理、庶民の心情を踏まえた政治を行なうためには、その足らざる部分を埋めなければならない」 先輩政治家たちは、政策面でも、組織運営の面でも、泉氏は総理の要件が決定的に足りないと見ているのだ。 (第2回に続く) ※週刊ポスト2024年7月12日号