リーダーはどのように企業のテクノロジー活用を牽引すべきか
■善良なテック企業を目指すべき2つの理由 善良なテクノロジーの管理は、筆者が言うところの「グッドパワー」の核を成す原則だ。これは、リーダーと企業が、人や組織、世界のためにポジティブで有意義な変化を生み出す能力を指す。生成AI(人工知能)を筆頭に新しいテクノロジーが普及する今日では、善良なテクノロジーを管理する重要性がこれまでになく高まっている。 企業が自社で開発・使用するテクノロジーの創造と活用、そしてそのテクノロジーが生み出すディスラプション(破壊的変化)について責任を負うべき状況は、いまに始まったことではない。しかし現在、AIの活用が急速に進展し、それが人々のプライバシー、セキュリティ、日常生活に及ぼす影響がこれまでになく増大している状況を考えると、企業がその責任を引き受けることはもはや避けて通れなくなっている。これは、テック企業だけでなく、AIを用いるすべての組織について言えることだ。 企業が善良なテクノロジーの運営者であるべき理由の一つは、純粋な自己利益の追求にある。2012~2020年に筆者がIBMのCEOを務めていた時、いまと似たような転換点を経験した。当時、世界は、ソーシャルメディア、検索エンジン、そのほかの一般ユーザー向けのテクノロジーがもたらす過酷な現実に直面していた。それまで長年にわたり、人々は自分の個人データがどのように保管・使用されるのかをあまり気にすることなく、これらのテクノロジーを使っていた。 みずからのプライバシーに対するリスクを新たに認識し始めた消費者たちは、もしある会社の個人情報の扱い方に不信感を抱けば、みずからのお金で「投票」して意思表示するようになった。つまり、その会社の商品やサービスの購入を控えることにより、その会社への不支持を表明するケースが出てきたのだ。企業は、自分たちが「悪いテック企業」とも「善良なテック企業」とも見られる可能性があることに気づき、顧客を失いたくなければ「善良なテック企業」と評価されなくてはならない。 しかし、「善良なテック企業」を運営すべき理由は、自己利益のためだけではない。それよりもはるかに重要な理由がある。それは、道徳上の理由だ。世界が対応する準備ができていないテクノロジーや、野放しにされたテクノロジー、間違った使い方をする人物の手に渡ったテクノロジーは、社会に害を及ぼす可能性がある。未成年者を傷つけたり、ニセ情報を拡散させたり、社会的・経済的な分断を広げたり、テロを助長したり、民主主義を危機に陥れたりしかねないのだ。企業には、そのような有害な結果を招かないように努力する責任がある。 それを実践するためには、テクノロジーに関わる意思決定のすべてにおいて、関係者たちのプライバシー、セキュリティ、ウェルビーイングを積極的に保護しなくてはならない。その際、リーダーには、トレードオフの選択をする勇気が求められる。具体的には、個人的な利益や企業の収益を追求するよりも、さらに大きな目的を優先させるべきケースを見極めて、短期の恩恵と長期の想定外の影響をどのように天秤にかけるべきかを知ることが重要なのだ。 筆者はIBM時代、「善良なテック企業」を目指すための取り組みを3つの領域に集中させた。それは、自社とそのテクノロジーに対する信頼を育むこと、多様性と包摂性を推進すること、そして、デジタル時代に成功するための社会の準備を整えることである。筆者が思うに、これらの領域で努力を払うことがあらゆる企業にとって重要である。このような活動は、テクノロジーだけでなく、価値観に関わるものでもあるからだ。 ■信頼を育む 企業とテクノロジーが成功するには、社会からの信頼が欠かせない。 筆者はIBM時代、社会がテクノロジーに対する不信感を強めていることにいら立ちを感じていた。しかし、テック業界全体が社会の信頼を獲得するために必要な行動を十分に取っていなかったことを考えれば、そうした社会の反応は、予想外なものとは言えなかった。 この状況を是正するために、IBMは2017年に、自社の立場を明確にした。「信頼と透明性の原則」を公表したのである。その中で、IBMは3つの信条を打ち出した。それにより、自社の取るべき行動と、さらには他社における努力の指針を示したいと考えたのだ。その3つの原則とは、以下の通りである。 テクノロジーの目的は、人間の能力を補強することである ソフトウェアとシステムの開発および実用化に当たっては、人々を向上させ、人類全体の状況をよりよいものにすることを目指すべきである。 データとインサイトは、その作成者に帰属する IBMは長年にわたり、クライアント企業がIBMのシステムを用いて保管・使用・抽出する情報とインサイトのすべてがクライアント企業に帰属すべきであると考えてきた。IBMの役割は、そのデータを守ることである。 透明性を確保する テクノロジーそのものは、バイアスの影響を受けず、説明可能なものであるべきである。たとえば、AIに関して言えば、企業は、開発・採用するAIシステムの目的について、そして、いつ、どのようにAIを活用するか、どのようにしてAIを訓練するかについて、積極的に開示すべきである。また、透明性を確保するとは、テクノロジーが持つ潜在的な有害性を率直に語り、そうした害の発生を防ぐための措置を講じることも意味する。 信頼を確立するために筆者がIBMで行ったことがもう一つある。CEOの立場を利用して、テック業界全般について世界の国々の政府を啓蒙したのだ。とりわけ、テック業界における説明責任の必要性、そして、それを維持するためにどのような規制を導入すればよいかについて理解が高まるように力を入れた。 当時もいまも、テクノロジー規制は、言ってみれば大型のハンマーというより、手術用のメスのような緻密なものでなくてはならない(私はそれを「規制のメス」と呼ぶ)。企業がどのようにテクノロジーを用いるかは、一様ではないからだ。大雑把な規制では、一部の企業に不必要な制約を与え、イノベーションを妨げかねない。 生成AIへの信頼を確立するには、すべての企業が自社の原則を定義して公表すること、そして、適切な規制を慎重に策定する過程に参加することが必要となる。その規制は、生成系AIというテクノロジーそのものではなく、その「使い方」を規制するものであるべきだ。