「朝ドラヒロインらしいヒロイン」なんてどこにもいない “カウンターヒロイン”の15年史
9月30日から「連続テレビ小説」第111作『おむすび』(NHK総合)が放送を開始した。本作は、元号が平成に変わるその日に生まれた主人公・米田結(橋本環奈)がギャル文化に出会い、やがて栄養士として「縁・人・未来」と、大切なもの「結」んでいく平成青春グラフィティだ。 【写真】まるで別人の橋本環奈ギャルメイクビジュアル 『おむすび』の第1話では、朝ドラの“お約束”と呼ばれる「タイトルコール」(結が食卓の塩むすびを見つけて「あ、おむすび」と発する)、「水落ち」(帽子を落として泣いている少年のために結が海に飛び込む)が早くも登場。さらに、ついつい人助けをしてしまう自分の性(さが)にツッコミを入れる結のモノローグとして、「うちは朝ドラのヒロインか?!」という“メタ台詞”も登場した。 本作を手がける脚本家の根本ノンジ氏と制作統括の宇佐川隆史氏は共に「朝ドラ好き」を公言し、こうした「朝ドラあるある」「ヒロインあるある」を意識的、メタ的に盛り込んでいる。朝ドラには、「タイトルコール」「水落ち」のほかにも、「ヒロインが作業に夢中になって顔に何かをつける」「ヒロインが自転車に乗って颯爽と登場する」「ヒロインが子役から本役に移行するファーストシーンは『同じ行動』をとらせて紐付けする」など、シーンとしての視覚的効果を狙った「あるある」が多く存在する。 しかし、巷でよく聞かれる「いかにも朝ドラらしい」「朝ドラヒロインらしい」という言葉。筆者はこれに違和感を覚えてしまう。たしかに、90年代前半あたりまでの朝ドラのヒロイン造形には「よく見かける共通事項」がいくつかあった。「猪突猛進でバイタリティにあふれ、ときにおせっかいで、おっちょこちょい」「なぜか周りを笑顔にしてしまう」「視聴者が孫や娘や姉妹や友達にしたいと思うような、親しみやすい女性」。「よく見かける共通事項」を集約させた、いわゆる「朝ドラヒロインへの“共同幻想”」の中身は、こんなところではないだろうか。しかし、それがわかりやすく存在したのは主に90年代前半までの話だ。 2010年代以降の朝ドラに、こうした「“いかにも”な朝ドラヒロイン」が、果たして何人いただろうか。当たり前だが、朝ドラ111作、(W主演の作品もいくつか存在するので)111人以上の主人公がいるなか、ひとつとして同じ朝ドラはなく、ひとりとして同じ主人公はいない。どの朝ドラの作り手も知恵を絞って「これまでになかった朝ドラ」「これまでにいなかったヒロイン」を創作しているはずである。近年の「朝ドラ」のドラマツルギーと「朝ドラヒロイン」の造形は、常にアンチテーゼの繰り返しであり、カウンターの歴史であったと言ってもいい。 2010年以降の朝ドラに絞って言及するなら、『ゲゲゲの女房』(2010年度前期)のヒロイン・布美枝(松下奈緒)は生涯専業主婦として夫・茂(向井理)の漫画家人生を支えた。これは、それまで「職業路線」と「ヒロインの自己実現」を主たるテーマとしてきた朝ドラに対する「カウンター」であった。 「朝ドラヒロインにパターンなどない」ことを周知させたのは、何といっても『カーネーション』(2011年度後期)だろう。ヒロインの糸子(尾野真千子)は巻き舌の岸和田弁で啖呵を切り、するめをかじって日本酒を煽り、畳に寝転ぶという、およそそれまでの「ヒロイン」の枠には収まりきらない人物造形だ。また、糸子が浴びせられる「あんたの図太さは毒や!」という台詞で「ヒロイン性」そのものにもアンチテーゼをぶつける。作品自体も「朝ドラ」という文脈のみでは語りきれないほどのマスターピースで、視聴者層をいちだんと拡大させて、「主婦が家事の片手間に視聴するもの」という朝ドラへの偏見を払拭した。 『あまちゃん』(2013年度前期)の天野アキ(のん)の母・春子(小泉今日子)が言うところの「地味で暗くて、向上心も協調性も存在感も華もないパッとしない子」という人物造形も、かつてあった「ヒロイン幻想」を反転させたものに他ならない。こうした作劇には、ヒロイン、ひいては人間を、紋切り型の評価軸でジャッジされてたまるかという脚本家・宮藤官九郎の気概も感じられる。 2010年以降の朝ドラに限るはずだったが、ここで少しだけそれ以前の朝ドラヒロインについても触れさせていただきたい。天野アキの「ヒロイン幻想を反転させた造形」については、『ちりとてちん』(2007年度後期)の喜代美(貫地谷しほり)の、ネガティブ思考で妄想癖の強い「AではなくBのほう」という造形がこれに通じるものがある。また、『カーネーション』糸子のように、ヒロインに「毒」や「業」を背負わせることをも厭わない作劇は、『ふたりっ子』(1996年度後期)の麗子(菊池麻衣子)・香子(岩崎ひろみ)にも見てとれ、どんな朝ドラも突然変異で出来上がったのではなく、それまでの歴史を受け継いでいることがわかる。 ヒロインの「業」といえば、『スカーレット』(2019年度後期)の喜美子(戸田恵梨香)が自らの追い求める陶芸を実現させるために、息子の武志(中須翔真)のために積み立てていた教育資金を溶かしてまで穴窯に注ぎ込む描写が白眉だった。「芸術」とは、かくも苛烈な人間の内面の炎が作り出す結晶なのだと、川原喜美子の生き様を通じて描いていた。 「前代未聞の三世代ヒロイン」を主人公に据えた『カムカムエヴリバディ』(2021年度後期)。時代の波に翻弄され、最愛の我が子を手放さねばならなかった安子(上白石萌音)から物語が始まり、「母親に捨てられた」という葛藤を抱え続けたるい(深津絵里)が、最終的に「みんな間違うんです」という境地に辿り着くところが、この作品の凄みであった。世の中に完全に正しい人間も、完全に正しいヒロインもいない。 『舞いあがれ!』(2022年度後期)の舞(福原遥)は一見、柔らかくふんわりした雰囲気で、あまりちゃんと観ていない人が表層だけとらえれば「朝ドラヒロインらしい」と言われるのかもしれない。しかし、彼女が内面に宿す「空を飛びたい」という確固たる信念、熱い情熱と揺るぎのなさ。そのソリッドな人物造形が痛快だった。人間がそうであるように、朝ドラヒロインも実に多面的で多層的なのだ。 このように、どの朝ドラもオリジナリティへの創意工夫を重ねてきたはずで、どのヒロインもそれぞれに個性的だ。 シリーズ111作目『おむすび』の制作統括・宇佐川隆史氏は、本作を平成が舞台の「現代もの・オリジナル作品」にした理由について、『らんまん』『ブギウギ』『虎に翼』と「モデルありの時代もの」が3作続いたので「朝ドラの可能性として、1回違うことにトライしてみたいという思いがありました」(※)と語った。言うなればこれも「カウンター」だ。平成を生きるヒロイン・結は、はたしてどんな人なのだろうか。時間をかけて彼女の人生を知る半年がはじまる。 参照 ※ https://maidonanews.jp/article/15444114
佐野華英