日本郵政上場までの経緯とグループ各社に求められるもの
郵政グループ3社が4日、東証1部に上場されました。もともとの国営事業の株式上場はNTT以来で、最後の大物といわれ、多くの投資家からも注目されていました。そもそも郵便事業はいつ始まり、どのような経緯で民営化され、上場に至ったのでしょうか? 上場後、郵政グループ各社には何が求められているのかを、東洋大学経営学部の石井晴夫教授が解説します。
1871年郵政事業が始まる
郵政事業は、1871年(明治4年)に郵便が創業されたことが始まりです。1875年(明治8年)には、郵便役所が「郵便局」と改称され、同時に、郵便為替と郵便貯金も創業されました。そして、1885年(明治18年)に逓信省が発足し政府による事業の統合が行われ、さらに1916年(大正5年)には簡易生命保険も創業され、こうして三事業一体の基礎的なサービス体制が整えられたのです。
第二次世界大戦後の1949年(昭和24年)には、逓信省と分離して郵政省が発足し、その後半世紀を経て、2001年(平成13年)1月6日の中央省庁再編の実施により、郵政省・自治省・総務庁が統合して「総務省」と「郵政事業庁」に再編されました。そして、2年後の03年4月には、中央省庁等改革基本法第33条に基づいて国営の新たな日本郵政公社が創設されたのです。
郵政民営化関連法案の否決と成立
2001年4月に内閣総理大臣に就任した小泉首相は、「聖域なき構造改革の断行」そして「民間にできることはすべて民間に任せる」との原則を公約として掲げ、その中心となるのが構造改革と道路関係四公団及び郵政事業の民営化であるとしました。 04年9月10日に臨時閣議を開き、郵政民営化の基本方針と全閣僚で構成する郵政民営化推進本部(本部長・小泉首相)の設置を決定しました。この基本方針に基づき、内閣官房に設置した「郵政民営化準備室」を中心として、郵政民営化のための詳細な制度設計が行われ、05年の通常国会に郵政民営化法案が提出されました。当初、政府の郵政民営化法案の中心は、(1)郵政事業の4分社化、(2)貯金・保険事業の民有・民営、(3)郵便局におけるユニバーサルサービスの範囲縮小など、市場経済に依拠したものです。 同年8月8日、参議院本会議において「郵政民営化関連法案」は最終的に否決され、同法案は廃案となりました。同法案に対する反対の意見としては、「今まで税金等が一切投入されていない健全な郵政事業を、なぜ今民営・分社化するのか理解できない。郵政民営化によって採算重視の経営になり、中山間地域や離島など不採算の郵便局が閉鎖に追い込まれる。郵政事業が4分社化されると利用者に混乱が生じると共に、内部取引コストが急増し、消費税などの公租公課も急増する」というものです。 この結果を受けて、小泉首相はすぐに衆議院を解散し、同年9月11日の郵政民営化の是非を問う総選挙は圧倒的多数で与党が勝利したのです。そして、同年10月11日、衆議院本会議において「郵政民営化法案」など郵政関連6法案の採決が行われ、賛成338票、反対138票で可決され、同年同月14日には、参議院本会議において郵政民営化法案など郵政関連6法案の採決が行われ、賛成134票、反対100票で可決・成立しました。