【あのニュースの今】7月豪雨 繰り返される水害に住民が決断 「きっと取り戻す」 戸沢村・蔵岡
さくらんぼテレビ
2024年もあと2週間あまり。県内ではさまざまな出来事があった。 元日の夕方に発生した能登半島地震では、県沿岸でも40年ぶりに津波警報が出された。 5月には南陽市で山林火災が発生し、県内で過去最大規模の被害になった。 8月のパリ五輪では、山形市出身の鏡優翔選手が、レスリング女子76キロ級で金メダルを獲得。県内も大いに盛り上がった。 そして、今も続く新米価格の高騰は、私たちの生活に大きな影響を与えている。 今週はこうした「ことし報じたニュースの今」をシリーズでお伝えする。1回目の16日は、過去最大の被害があった「7月豪雨」。 中でも、大規模な水害が発生し県内最多250人が避難した戸沢村では、繰り返される水害に、住民たちが“大きな決断”を下した1年となった。 7月25日、全国で初めて一日に2度の「大雨特別警報」が発表され、各地で観測史上最大の雨が降った。 新庄市では、36時間で平年の7月・ひと月分の2倍近い雨が一気に降り、犠牲者も出た。 (新庄市本合海リポート) 「パトカーが見つかった現場です。パトカーのほかにも白い乗用車3台も見つかった。川のように見えますが、田んぼです。奥に見える土手と山の間に新田川が流れていて、その川があふれて冠水地帯ができたとみられています」 新庄市本合海では、はん濫した川の流れが市道に押し寄せ、通報を受け救助に向かったパトカーが流されて20代の警察官2人が亡くなった。 さらに酒田市でも、80代の女性が川に流され死亡。大雨で、3人の命が奪われた。 被害総額は1078億円、住宅被害も2556棟に上り、過去最悪の豪雨災害となった。 (リポート) 「住宅に取り残された住民を、一人ずつヘリコプターに乗せ救助していきます」 戸沢村蔵岡地区では、そばを流れる最上川がはん濫。集落が水に飲まれ、取り残された住民がヘリコプターで救助された。 (リポート) 「農業用ハウスでしょうか、ひっくり返ってしまっている。タンクのようなものが道路に転がっている」 あれから5カ月。繰り返される水害に、住民たちが下した決断は…。 戸沢村蔵岡地区で農業法人を営む中村健一さん(54)。 中村さんも、大雨で自宅や農業機械のほとんどが水に浸かった。それでも何とか、ことしの秋もコメの収穫を終えた。 (中村さん) 「去年の単価表。ことしの単価に比べれば安いな…と思って」 大雨の後、新庄市内のみなし仮設アパートに引っ越した中村さん。 普段は、比較的被害が少なかった自宅隣の息子夫婦の家を修理して、1人で生活している。 (中村さん) 「仕事でやらなければならないことが多い。ここに泊まりながら、農協も役場もここから行った方が近いので」 隣にある自宅は、今も窓や扉はなく基礎も丸見え。とても住める状態ではない。 「なんかさみしくなったな」 蔵岡地区は、過去にもたびたび水害に悩まされてきた。中村さんの人生で、自宅は「4回」も浸水被害を受けている。 このため県は2023年、水害対策の“切り札”として、約14億円をかけて「輪中堤」を完成させた。 これは、蔵岡の集落を高い堤防でぐるりと囲み水の侵入を防ぐもの。7月の大雨で、輪中堤自体は決壊することはなかった。 しかし今回は、最上川の本流の水があふれ、元々あった国道47号の堤防を越えて集落を飲み込んだ。本流のはん濫は「輪中堤」の想定外で、結果的に地区は守られなかった。 (中村さん) 「信頼していた47号線の堤防、あれを越水してきた。全然想像していなかったこと。もし残っていたらどうなったのかな、命の危険を感じるからこそ避難(移転)を考える」 9月、村は中村さんたち蔵岡地区の住民に「集団移転」を提案。 災害のおそれがある地域から、安全な場所へ集団での移転をうながす国の事業だ。 全世帯に住民アンケートをとった結果…。 (戸沢村・加藤文明村長) 「90%以上の賛成が得られたので、集団移転を進めていきます」 全世帯の9割以上が「賛成」。住民たちが下した決断は「蔵岡を離れて暮らすこと」だった。 (中村さん) 「思い出・思い入れもかなりある。自分たちはそれでいいけど、息子や孫がこれからこの場所で生きていくということは想像できない。集団移転して、水害の心配がない所に行きたい」 戸沢村は2025年1月、「集団移転対策室」を新たに設置し事業を進めていく。 移転の候補地は、蔵岡地区から約3キロ離れた村中央公民館周辺や、新庄古口道路乗り入れ口付近が見込まれている。 (リポート) 「大雨の後、蔵岡地区に取材に入った。その時は土砂が溜まっていて歩くのも困難な状態だった。その時に出会ったこちらの家に住む男性は、泥をかぶった家具を家から出して洗い流していた。男性は、『ここに残って、ここで暮らしたいんだ』という思いを教えてくれた。そしてこちらの家に住む女性は、避難所から弁当を持ち帰ってきて、『家で食べるのが一番安心する』と話してくれた。大雨から5カ月が経って蔵岡地区に入ると、一見町は片付いたように見えるが、あの時あった“人が暮らしている雰囲気・様子”を感じることはできない。逆に、静けさやさみしさが広がっている」 69世帯が住んでいた蔵岡地区。 仮設住宅やみなし仮設で散り散りとなり、現在残っているのは中村さんを含め16世帯。 (中村さん) 「芦原商店はアイスがおいしくて、この看板を見るとアイスが食べたくなる」 (菅原アナ) 「中村さんにとってはいろいろな思い出があるんですね」 (中村さん) 「当時、漫画がとても好きで予約して、『漫画本、入った?』『まだ来ね』って、うずうずして、思い出がよみがえってきますね」 中村さんは、ここにあった人と人とのつながりは、集団移転をした先できっと取り戻せると信じている。 (中村さん) 「1年間いろんなことがありすぎて大変だったけど、やっぱり基本前向きに考えるようにしている。集団移転でまた一緒に暮らして、それで落ち着いたら、また収穫祭とか催し・祭りを考えて、一緒に酒でも飲んで思い出話をしながら、それをみんなに伝えながら一緒にもう一回集落を盛り上げていきたい」 蔵岡地区の集団移転はまだ検討中の段階で、いつまでに完了するか決まっていない。村は年内に、住民に対しどんな住宅を希望するかなど意向アンケートを実施する予定。
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