ダイハツ「シャレード」は、どのようにして世界初の1.0L 4スト3気筒を実現したのか【歴史に残るクルマと技術041】
●独自開発のバランサーシャフトで3気筒エンジンの振動を低減
シャレードが3気筒にこだわった理由は、4気筒に比べて部品点数が少なく、またフリクションも小さくなるのでコストと燃費で有利なこと。さらに排気量1Lの場合、4気筒だと1気筒あたりの排気量250ccに対して、3気筒だと333ccと大きくなることも燃費で有利となる。1気筒あたりの排気量が小さ過ぎる(ボア径が小さい)と熱損失が増え、熱効率が低下するのだ。 だだし、3気筒エンジンは4気筒エンジンに比べて振動が悪化するという欠点がある。これは、3気筒では燃焼行程がクランク回転120度に一回起こるので、1つの気筒のピストンが燃焼行程の時に、ほかの2つのピストンは往復運動の中間位置にあり、しかも上昇と下降の別の動きをするので、偶力と呼ばれるエンジンを回しながら揺するような独特な振動が発生する。 この振動の課題について、シャレードはクランクシャフトと連動する逆回転のバランサーシャフトを設け、振動を打ち消す方法で対応。ちなみに、現在の3気筒エンジンはバランサーシャフトだけでなく、バランスウエイトの設定やエンジンマウントの改良などで対応している。
●優れた走りと低燃費をラリーやエコランによって世界にアピール
シャレードは、優れた走りと経済性を実証するために、積極的に海外ラリーやエコランにチャレンジした。 特に、モンテカルロ・ラリーでは軽量ボディの俊敏な走りを披露し、1979年から参戦し翌1980年にクラス2位、そして1981年には見事クラス優勝を成し遂げ、シャレードの名を世界に轟かせた。 また、1979年にオーストラリアで開催されたトータルオイルエコノミーランで平均燃費18.14km/Lで優勝、シンガポールで開催されたタイトニー・エコノミーラリーでも平均燃費34.3km/Lで優勝するなど、走りだけでなく優れた燃費性能も大きくアピールしたのだ。
●ダイハツのシャレードが誕生した1977年は、どんな年
1977年には、日産自動車の5代目「スカイライン(通称、ジャパン)」、トヨタから「チェイサー」も発売された。 5代目スカラインのジャパンは、人気モデル「スカイライン・ケンメリ」に続いて“日本の風土で生まれた日本車の決定版”の意味を込めて命名され、引き続き人気を獲得。チェイサーは、「マークII」兄弟車の高級感あふれるスポーツセダンで、1980年には「クレスタ」も加わり“マークII 3兄弟”として、スポーティな高級セダンのハイソカーブームをけん引した。 その他、読売ジャイアンツの王選手が765号のホームラン世界記録を達成、日本初の気象衛星「ひまわり」打ち上げの成功、白黒TV放送が廃止され完全カラー放送に移行、日本赤軍による日航機ハイジャック事件が発生し、ピンクレディが大人気となった年である。また、ガソリン121.4円/L、ビール大瓶204円、コーヒー一杯220円、ラーメン250円、カレー328円、アンパン68円の時代だった。 ・・・・・・・ 小型車に負けない走りと軽自動車並みの低燃費を実現したリッターカーの始祖「シャレード」。リッターカーという新しいカテゴリーを開拓した、日本の歴史に残るクルマであることに、間違いない。
竹村 純