(写真:南日本新聞社)(南日本新聞社)
学びやは拷問と虐殺の場となった。国民の4分の1の命を奪った旧ポル・ポト政権。「むごい」。多数派の意見で突き進む危うさを思い知った
【関連記事】
- 【写真】〈関連〉旧ポル・ポト政権による虐殺の語り部活動をする生存者(中央)と中高生=7月27日、カンボジア・プノンペン
- 〈カンボジア夏体験~鹿児島県中高生訪問記㊥〉知識人は社会の敵とみなされた。教育現場に色濃く残る虐殺の爪痕。高校就学率は25%…子どもを取り巻く課題は貧困だけではなかった
- 〈カンボジア夏体験~鹿児島県中高生訪問記㊦〉村民の暮らしは共生に満ちていた。加害者と被害者を生んだ虐殺の反省だ。公害、原発事故…分断を阻むには、施しではなく支え合いこそ大事なんだ
- 「未曽有の惨状」「焦熱地獄」 地方紙が伝えた100年前の関東大震災 首相暗殺や朝鮮出身者の誤情報…虚実入り混じる
- 「朝鮮人が暴動」 流言は当時の新聞にも…災害時のデマ拡散、SNSでリスク増大 関東大震災から100年
- 引き揚げが決まった日本兵に、中国人は食べ物を持たせ泣いてくれた。「恨まれても仕方ないのに…」。私も涙が止まらなかった【証言 語り継ぐ戦争】