東京電力のエリート社員はなぜ路上でカラダを売っていたのか、本当の犯人はどこへ…「東電OL殺人事件」が残した“2つの謎”(1997年の事件)
巣鴨にある定期が発見された民家は、土地勘のある人物でなければ、来ることはない細い路地の奥にある。発見者の女性が貴重な証言をしてくれた。 「朝、花に水やりをしていたら、壁際に、黒い定期入れが落ちていたんだよ。名前を見たらカタカナでワタナベと書いてあったんだ。近所にワタナベなんて名前の人はいないから、警察に届けたんだよね。水やりは毎日の日課でね。前の日は定期券なんてなかったよ。酔っ払いが間違って捨てていったんじゃないかと思っていたら、まさかこんな大きな事件に関係あるとは思わなかったよ」 この界隈に当時住んでいた人物か、もしくは友人、知人が住んでいた人物が捨てたということが考えられないか。
ゴビンダ犯人説を崩す「定期券」の存在
地元の住民に話を聞いてみると、事件後警察がこの界隈で聞き込みなど、した形跡はないという。警察にしてみれば、定期券を持った人物の存在は、ゴビンダ犯人説を崩す邪魔でしかなかった。当時、この付近を徹底的に捜査していれば、定期券に関連ある人物を見つけることができたのではないか。 ちなみに、定期券が発見された場所の周辺には、1997年当時、イラン人やバングラデシュ人などが多く暮らしていた。特にイラン人は、違法テレフォンカードを販売したり、不法滞在をしながら暮らしている者も少なくなかった。 「当時は、ちょっと夜になると物騒なところはあったね。イラン人が店を閉めたあとの夜中に酒を売ってくれって来たんだけど、売らなかったら、自動販売機を壊されたなんてこともあったな」 今も定期券が発見された現場周辺で酒屋を経営する男性が言う。そうした話がこの事件と結びつくわけではないが、何らかの事件の温床となり得る空気が、この町の周辺には間違いなく漂っていた。
その後のゴビンダさん家族
現在、ネパールの首都カトマンズで暮らしているゴビンダさんは家族と水入らずの生活を続けている。 ゴビンダさんが、日本に旅立ったのは、事件を遡ること3年前の1994年のことだった。 その当時乳飲み子だった娘さんは、すでに結婚し、ネパールから海外に嫁いでいる。2000年に初めて来日したゴビンダさんは、写真を見る限り、心労から解き放たれ、日本に滞在していた時と比べ、ふっくらとし、健康的な表情をしている。 彼らは冤罪の被害者として失ってしまった時を、日々懸命に取り返している。 一度は地獄を見て、そこから抜けだすことができたゴビンダさん。その一方で、事件の被害者である女性会社員の魂は、真犯人が捕まらない限り救われることはない。 果たして、真犯人はどこに消えたのだろうか。 警察は、今も犯人逮捕のため捜索を続けている。 私は、日本に暮らして30年以上、日本語も堪能なネパール人の男性から思わぬ話を聞いた。 「日本は好きだが、警察は…」今もネパール人への厳しい視線が止まらない「東電OL殺人事件」“第2の被害者”たちの悲痛(1997年の事件) へ続く
八木澤 高明,高木 瑞穂/Webオリジナル(外部転載)