殿堂入りの田淵幸一氏が星野仙一氏と果たせなかった約束
日本の野球殿堂入りの発表、通知式が14日、東京ドーム内の野球殿堂博物館で行われ、監督、コーチ引退後6か月以上、もしくは引退後21年以降の選手が候補者となるエキスパート表彰で、阪神、西武でホームランバッターとして活躍、阪神時代の1975年には王貞治氏の14年連続本塁打王を阻止、通算474本塁打を放っている田淵幸一氏(73)が109票(80.7%)を獲得して選ばれた。引退後5年以降の選手で、その後15年間が選考対象となるプレーヤー表彰では該当者なしとなった。2008年に2つの部門に表彰が分かれてからプレーヤー表彰の該当者なしは初。プレーヤー表彰は15年以上の取材歴のある野球記者、エキスパート表彰は殿堂メンバー&30年以上の野球記者の投票により選考され、有効投票数の75%以上を得票した候補者が殿堂入りを果たすことになっている。ヤクルトの高津臣吾・新監督は、当選ラインに7票足りずに259票(73.2%)、元阪神のランディ・バース氏も89票(65.9%)で13票足りずに次点に泣いた。 また特別表彰では、60年前の伝説の早慶6連戦をはじめとして名勝負を重ねた早大の故・石井連蔵氏、慶応大の故・前田祐吉氏が揃って選ばれた。
故・星野仙一氏との約束
“親友”でありライバルだった故・星野仙一氏のレリーフの前で記念撮影をした田淵氏は感無量の表情を浮かべた。 「2017年に星野が殿堂入りした。12月に東京と大阪で殿堂入りのパーティーがあってね。かなり弱っていた。立っているのがやっとで、いつもの星野イズムも出ない。これはちょっとやばいなと思っていた」 そのパーティーが終わったときに控室で星野氏は田淵氏に「ぶちよ。おまえもいつか(殿堂入り表彰を)もらうだろう。そんときは、浩二(山本)と3人で祝勝会しようや」と語りかけたという。 その約1か月後の2018年1月4日に星野氏が亡くなった。朝8時半にマネージャーから連絡をもらい「ショックだった」。星野氏の予言通りに殿堂入りを果たしたが、その親友はこの世にいない。 3人でのパーティーの約束は果たせなかった。 「今でも仙ちゃんの夢を見るんだ。キャッチボールしようやと出てくる。あのときも1月の終わりに楽天の監督会議で東京に行くから飯でも食おうと約束していた。星野がタイガースの監督になるとは、これっぽちも思わなかった。阪神とは、球団とのあれ(確執)もあったが、星野と一緒ならどこへもいくつもりで二つ返事で決断、即断した。2001年オフからユニホームを着て、彼が亡くなるまで1年の3分の2が一緒だった。今、浩二(山本)の(体調の)具合も悪い。でも同級生が後押ししてくれたと思う。感謝、感激」 田淵氏は、天国にいる親友に殿堂入りを報告した。 殿堂入り内定の報告を受けた際、「人生73歳で、どういう野球人生を歩んできたかが頭に浮かんだ」という。 法政一高(現・法政)で本格的に野球をやるまで硬式ボールにも触ったことがなかった。そこで「一番の恩師」と慕う松永怜一監督との出会いがあり、法大も含めて7年間、指導を受けることになる。入部してまもなく、松永監督から丸坊主の仕方にクレームをつけられた。 「おまえの頭は五厘(刈り)か?」 それが法政一高のルールだったが、田淵氏の丸坊主のカットは少しだけ長かった。 「五分(刈り)です」 そう素直に答えると、その髪の毛をつままれ「五分じゃねえだろう?もう辞めろ!」と退部を命じられたのである。 すぐに五厘刈りに丸めたが、「あそこで辞めていたら今日はない。これあまり言っていなかったエピソードなんだけどね」と、田淵氏は、当時を振り返った。