イノベーションを起こせない企業、資金力のないメディア…巨大プラットフォーマーを前に日本が直面する「恐ろしすぎる社会」
テクノロジーで解決できる問題はたくさんある
テクノ・リバタリアンが目指すのはテクノロジーを用いた社会の最適化だ。ムラ社会の日本でもそうなっていくのだろうか。 「日本は過度に平等が重視されていて、その典型がコロナ禍で全国民に10万円を支給したばらまき政策です。しかし、収入が減るわけではない年金生活者にまで、『安心料』として10万円を配ることになんの意味があるのか。だったら、コロナで仕事を失い、生活に困っている人たちを手厚く支援した方がずっといいでしょう。 実際、イギリスでは会社から支払われる金額を国がリアルタイムで把握しているので、収入が減った個人を特定してその銀行口座に不足分を振り込むことができた。これはきわめて合理的な仕組みですが、同じことを日本でやろうとすると、マイナンバーで国民の収入や資産を把握しなければならないでしょう。ところが日本には“個人情報原理主義”のような人たちがたくさんいて、マイナンバーは管理社会の道具だと頑強に反対しているので、どうにもなりません。 テクノロジーで解決できる問題はたくさんあります。日本では過去の治療記録が病院間で共有されていないので、病院が変わると最初から検査を行ったり、前の病院から治療記録を取り寄せなければならない。医療データをデジタル化し、個人のアカウントに紐づけておけば、余分な検査が不要になって医療費が大幅に削減できるだけでなく、誤診を防ぎより効果的な治療が可能になるでしょう。 マイナ保険証にパニックのような反対が起きたことを見ても、日本人は抽象的な思考が苦手で、デジタルデータよりも紙のような手で触われるものしか信じられないのでしょう。本来のリベラルは進歩主義のはずですが、日本ではリベラルなメディアがマイナ保険証で一斉にラッダイト報道に走りました。団塊の世代の読者・視聴者がテクノフォビア(テクノロジー恐怖症)で、『紙の保険証が安心』と言っておけばウケがいいからでしょう。 日本のリベラルが理解できないのは、『測定できるものしか改善できない』という原則です。より公平で効率的な社会を作るためには、国家(行政機関)が個人情報を的確に把握している必要があります。実際、北欧はこのようなデータ駆動型社会になっていますが、日本のリベラルは実態が反動主義なので、テクノロジーを毛嫌いし、管理のための監視を拒絶します。こうして差別的で非効率な社会が温存されるわけですが、それでも自分たちは『差別』と戦っていると勝手に思い込んでいるのです」