「平成」と名のつく土地は30以上も? 市町村合併で揉めたから「明治」に!? 日本各地にある元号がついた土地名の由来
昭和村が生まれたのは、1年1週間後
昭和村が東京府北多摩郡に誕生したのは、まだこの新元号ができてまだ1年と1週間後の昭和3年(1928)1月1日であった。8村合併によるもので、明治の町村制で「組合村」となりながら合併できずに推移していたのが、ここでようやくまとまった形である。「空都」立川に近かったことから昭和飛行機が進出するなどして昭和10年代から人口が急増、同16年に昭和町となった。昭和29年(1954)には西隣の拝島村と合併して頭文字を合成、昭島市として今に至っている。 青梅線の駅名も、工場の門前にできた「昭和前」から昭和34年(1959)に昭島と改称した。昭和駅は川崎市のJR鶴見線にあるが、こちらは根室市と同様に昭和電工(昭和肥料)の工場前にちなんで命名された駅名で、地元に昭和という町はない。ついでながら名古屋市の昭和区は南区・中区の各一部を割いて昭和12年(1937)に設置された。 江戸時代の元号も意外にある。新しい方から遡れば、高知市弘化台は同市の浦戸湾に浮かぶ小さな島の名および町名で、弘化年間(1844~48)にここに砲台が築かれたことにちなむ。その前の元号の天保(1831~44)といえば大阪の有名な天保山。町名ではないが、天保年間に大川(安治川)の浚渫を行ってその土を盛り、入港の目印として作った人工島である。現在では標高4.53メートルの「日本一低い山」として知られている。 さらに古いものでは、横浜市鶴見区と名古屋市港区にある寛政町。名古屋市の方は寛政年間(1789~1801)に新田開発が行われたことにちなみ、横浜市の方は寛政元年から新田の年貢を取り立てた寛政耕地に由来する。 もっと古くは意外にも北海道の渡島半島西海岸にある乙部(おとべ)町の元和(げんな)。太平の世の始まりを示す「元和偃武」で知られているが、元和元年は1615年だから400年以上経っている。当地は元和年間に長尾景貞らが移住したことにちなむという。 さすがに中世の元号由来は少ないが、長野県中野市には長野電鉄の駅名にもなっている延徳という地名がある。延徳年間(1489~92)頃に開発したことによるそうだ。私が探した中で最も古いのは愛媛県今治市の延喜だが、平安時代の延喜年間(901~923)に関係するものかどうかわからない。 写真/shutterstock 図・地図/書籍 『地名散歩 地図に隠された歴史をたどる』より ---------- 今尾恵介(いまお けいすけ) 地図研究家 1959年横浜市生まれ。明治大学文学部ドイツ文学専攻中退。(一財)日本地図センター客員研究員、日本地図学会「地図と地名」専門部会主査などを務める。『地図マニア空想の旅』(集英社インターナショナル、第2回斎藤茂太賞受賞)、『今尾恵介責任編集地図と鉄道』(編著、洋泉社、第43回交通図書賞受賞)、『日本200年地図』(監修、河出書房新社、第13回日本地図学会学会賞作品・出版賞受賞)、『地名崩壊』『地名散歩』(どちらも角川新書)、『地図帳の深読み』(帝国書院)、『地図バカ』(中公新書ラクレ)、など地図や地形、鉄道に関する著作多数。 ----------