なぜ地味なのか「JR難波」 かつての一大ターミナル今後は大化け? 実は30年前からあった“構想”
ターミナル駅だけど少ない利用者数
大阪の難波は各社の鉄道が集まり、それぞれ主要なターミナルを構えています。南海の難波駅は2021年の乗車人員が8万98人、乗降人員だと16万8850人の巨大ターミナル。近鉄の大阪難波駅は、阪神なんば線と直通運転していることから、両社を合計して16万人程度の乗降人員を誇ります。大阪メトロのなんば(正式表記は漢字)駅も、御堂筋線、千日前線、四ツ橋線が乗り入れ、乗降人員は両線合計で29万8803人と圧倒的な利用客数です。 そうした中で、いささか地味なのがJR西日本の「JR難波」駅です。 大化けするJR難波駅の構想 特急が初めて停まるかも!?(路線図) 関西本線(大和路線)のターミナルであるJR難波駅の乗車人員は1万7930人。乗降人員は不明ですが、仮に倍としても3万5000人程度ですから、南海や近鉄・阪神の約5分の1です。決して少ない数ではありませんが、難波駅の中では最も少ないのが現状です。ちなみに、私鉄と地下鉄の難波駅がおおむね地名上の難波に位置しているのに対して、JR難波駅のみ湊町に位置しています。 こうしたJR難波駅ですが、かつては栄光のターミナルでした。開業は1889(明治22)年で、大阪鉄道の「湊町」駅として開業しました。大阪鉄道は1900(明治33)年に関西鉄道と合併し、関西鉄道は湊町~名古屋間で料金不要の急行列車を運行。官設鉄道に競争を挑みます。 関西鉄道は同区間を最速5時間16分、官設鉄道は5時間20分で結び、所要時間はほぼ互角、料金も同じでした。1902(明治35)年に関西鉄道が所要時間を5時間弱に短縮し、さらに割安な往復料金を設定すると、官設鉄道も負けじと値下げし、関西鉄道もすかさず値下げしたうえで、団扇などの小物をサービスするなどしました。明治の黎明期から熾烈なサービス合戦を繰り広げ、大阪府知事などから調停が行われる騒ぎにまで発展しました。
準急と寝台急行が発着していたころ
関西鉄道はいったん調停を受け入れますが、すぐに破棄。往復運賃を下げ、弁当も無料サービスし、さらに1904(明治37)年には急行列車へ食堂車まで連結します。しかし同年の日露戦争勃発で軍事輸送優先となり、両社の競争はようやく終わったのです。 1907(明治40)年、関西鉄道は国有化されて関西本線となります。その後は1930(昭和5)年から、湊町~名古屋間に快速列車が運行され、太平洋戦争による中断を経て、1955(昭和30)年より準急「かすが」となります。 「かすが」は同区間を最速3時間4分で結びましたが、東海道本線の電化や近鉄特急のスピードアップで利用客が減少し、1968(昭和43)年より湊町駅へ乗り入れるのは上り1本のみとなります。1973(昭和48)年10月に、湊町~奈良間が電化されると、「かすが」の湊町~奈良間は廃止されてしまいました。 湊町駅のもうひとつの優等列車は、1950(昭和25)年に設定された東京~湊町間の急行列車です。この201・202列車は急行「大和」と命名され、1954(昭和29)年からは寝台車も連結した夜行急行となって人気を博します。最盛期には、一等寝台車1両、一等座席車1両、二等寝台車2両、二等座席車5両の9両編成で運行された「大和」ですが、1968年に廃止されます。