「僕のキャッチフレーズは“草間彌生に負けた男”」幻冬舎・石原正康 「野生時代新人文学賞」最終選考を振り返る
TOKYO FMの音声サービス「AuDee(オーディー)」で配信中の、放送作家兼ラジオパーソナリティの植竹公和が、自身のレーダーにかかった文化人を招いてお届けするスペシャルトーク番組「歌う放送作家 植竹公和のアカシック・ラジオ」。 ▶▶【音声を聴く】「植竹公和のアカシック・ラジオ」 今回のお客様は、幻冬舎のカリスマ編集者で専務取締役の石原正康さん。ここでは、そもそも本や小説と向き合うようになったきっかけや、幻冬舎社長の見城徹との出会いについて伺いました。
◆7歳年上の彼女の存在
植竹:石原さんが出版業界に入るきっかけになったのは、法政大学の学生のころに、角川書店(現・KADOKAWA)でアルバイトをなさっていたのが発端だと。これは角川映画がヒットしていた時代ですか? 石原:当時もそうでしたけど、角川文庫という名前のほうが通りがよかったような時代でした。「セーラー服と機関銃」や、この前お亡くなりになった森村誠一さんの「人間の証明」などで角川がヒットを連発していて。メディアミックス戦略で勝ちまくっていた頃で、バイトをしていたのはちょうどその時期でした。 植竹:たまたま角川のアルバイトに入ったんですか? 石原:僕はもともと学生時代に小説を書いていたんです。高校時代に好きだった女の人がいたんですけど、7歳年上で24歳の女性がいたんですね。 植竹:ちょっと待って、ええ? 石原:僕が17歳で7つ年上でした。高校のときは音楽が好きでバンドをしていたのですが、(たまに通っていた)楽器屋さんで働いていたお姉さんでした。 植竹:僕もレコード屋さんのお姉さん好きでした。アルバムを持って行くとかけてくれて。 石原:まいっちゃいますよね。 植竹:大人の美しさというのがね。 石原:レコードとか楽器屋さんの女性の店員だとエプロンなんかしたりして、なんかいいんですよね。その人と付き合っていて。 植竹:付き合っていたの? 石原:全然プラトニックな恋愛でした。その楽器屋さんは火曜日がお休みで、高3のときは火曜日は学校に行かないでデートばかりしていたんです。そうしたら体育の先生が「石原、このままだと体育で留年だな」って。体育の授業が火曜日にあったんです。それでまずいと思って必死に勉強をして、やっと卒業して。 植竹:その女性とは最終的には? 石原:僕は植竹さんの学校の後輩になるんですけど、法政大学に受かったので新潟から東京に上京して。そのときにこっぴどい感じで振られたんです。 植竹:どういう振られ方を? 石原:「3年も4年も会わないんだから、遠距離で付き合うなんて無理でしょ」と。 植竹:高校生だから充分ですよ。そんないい思い出があるなんてね。 石原:それで、その彼女が本好きの人だったんです。当時流行っていた村上春樹さんとか村上龍さん、J.D.サリンジャーとか伊丹十三とかいろいろな本をくれて。 植竹:いい趣味をしていますね。 石原:サリンジャーの「ライ麦畑でつかまえて」を読んでみたら「当たり前のことが書いてある、面白くないな」と(笑)。それで大学に入って、フラれたから彼女に復讐するために小説家になろうと。 植竹:復讐というのはどういう意味で? 石原:彼女は小説家をリスペクトしているだろうと。 植竹:根に持つ男ですねえ(笑)。 石原:バカですけどね。それで一生懸命小説を書きだしたんです。