Snow Man提供楽曲が初週120万枚売り上げ デビュー10周年のバンド・アイドラのターニングポイント
デビュー10周年のI Don't Like Mondays.、インタビュー
デビュー10周年を迎えた4人組ロックバンド・I Don’t Like Mondays.(通称アイドラ)が今年4月24日、新曲『New York, New York』をリリースした。スタイリッシュなサウンド、ファッションセンスを持ち合わせたアーティストとして、櫻井翔、北山宏光、岩本照らが「好きなバンド」に挙げている。2月、Snow Manに提供したシングル『LOVE TRIGGER』が、同グループ史上最高となるCD初週売上約120万枚を記録。注目度が高まる中、メンバーのYU(ボーカル)、KENJI(ベース)、SHUKI(ドラム)、CHOJI(ギター)に現在の心境を聞いた。(取材・文=福嶋剛) 【動画】初週120万枚売り上げ…Snow Man提供楽曲「LOVE TRIGGER」のミュージックビデオ Snow Manへの提供曲が初週でミリオンを達成。リーダーのSHUKIは率直に「本当にうれしかった」と言った。 SHUKI「僕たちが提供したことを知らない人に『アイドラっぽい』と言ってもらい、Snow Manのファンの方たちに僕たちの音楽を受け入れてもらえたことが大きかったです」 YU「悔いのない曲が完成したのかなって」 CHOJI「Snow Manの岩本くんが僕らのファンだと知ってうれしかったですし、Snow Manの作品に自分たちが参加できたことが光栄です」 KENJI「僕らが演奏しても『カッコいい』と思えるものが出せたかと。今回、めちゃくちゃ力を入れてシンセベースを作りましたから(笑)」 『LOVE TRIGGER』によって、あらためて注目されたアイドラ。彼らの始まりは10年以上前にさかのぼる。高校でYUの同級生だったギタリストが「プロを目指すバンドを作る」と宣言し、KENJI、ボーカル、ドラムの4人が集まった。YUはメンバーではなく、同バンドのマネジャーだった。 YU「僕はバンドをやるつもりはなかったんです。だけど、すぐにボーカルが辞めてしまい、みんなに『やって』と言われて始めたのがきっかけです。その後、ドラムも辞め、リーダーだったギターも辞めてしまいました」 SHUKI「実は辞めた初代のドラマーが僕の兄貴なんです。僕はヘヴィメタル系のバンドでドラムをたたいていたんですが、兄貴に『代わってくれ』と頼まれて入りました」 KENJI「僕はこのバンドに入ってから本格的にベースを始めました。SHUKIはバリバリのドラマーだったから、組んだばかりの頃は実力差があり過ぎて、付いていくのに必死でした」 新たなギタリストを探している途中で、バンド名がI Don’t Like Mondays.に決まった。演奏が大好きな彼らが「ライブのない月曜日はつまらない」という意味を込めたという。そして、スタジオミュージシャンとして活動していたCHOJIをギタリストに迎え、不動の4人組が誕生した。 CHOJI「僕はサポートミュージシャンやギターの講師をやっていました。前からバンドがやりたくて、3人に会った瞬間に『ここだ』と思いました」 YU「CHOJIはハードロック、SHUKIはメタル、KENJIはイギリスのロック、僕はマイケル・ジャクソンやプリンスといった80年代の洋楽……。全員ルーツミュージックがバラバラな4人がプロを目指そうとなった時、『じゃあ、どんな音楽をやる』と言って、試行錯誤しながら自分たちならではの音楽を探していきました。当初はブルーノ・マーズみたいな聴きやすくて踊れる音楽を目指しました」 アイドラは幅広い音楽性を持ったバンドでシティポップ、ファンク、R&B、80sポップ、UKロック、J-POPと作品ごとにカラーが変わる。だが、どれを聴いてもすぐにアイドラだと分かる曲が彼らの特徴だ。 YU「デビューした頃は歌詞と歌をいかにして楽曲に馴染ませるかがテーマでした。でも、『オシャレなバンド』とか『BGMとして最適』みたいな感想をもらうたびに『これでいいのか?』と疑問を持つようになり、メッセージ性のある作品にもチャレンジしました。また、コロナ禍にはステイホームでも楽しめるようなJ-POP的な歌ものを作り、再び有観客ライブが戻ってくると、『やっぱり、バンドサウンドだ』と言って原点回帰をしてみたり。毎回、『前作とは違う新しいもの』に挑戦してきた10年だったと思います」 デビュー10年。あらためて4人が振り返った。 SHUKI「バンドとしてのターニングポイントは、大きいところでは2021年にテレビアニメ『ONE PIECE』(フジテレビ系)の主題歌『PAINT』をリリースした時です。ケタ違いの反響でした。最近では、昨年9月にリリースした5枚目のアルバム『RUNWAY』がきっかけでスペイン、中国、アルゼンチン、韓国、台湾など海外公演が一気に増えました。何より僕たちの自信につながったのは、海外向けに歌詞を変えたりせず、そのままの演奏を受け入れてもらえたことです。『デビューの頃から求めてきたものが海外にあった』と分かり、向かう先も見えてきました」 KENJI「僕にとっては、プレーヤーとしての引き出しをたくさん作ってきた10年でした。今までなかったスタイルを曲ごとに身に付けていくのは大変でした。でも、新しい引き出しができたおかげで、自分らしい演奏もできるようになりました」 CHOJI「自分はこの10年でバンド全体のサウンドの大切さを学んでいきました。ギターって『目立つ存在』だけでなく、シンセサイザー的な音響としての楽器にもなるし、リズムを刻む楽器にもなる。なので、いろんな場面でサウンドに色を加えていく大切な存在なんです。僕はデヴィッド・ボウイやマドンナのプロデュースでも有名なナイル・ロジャースというギタリストのカッティング奏法に大きな影響を受けました」 YU「僕はボーカリストとして常に自分らしい歌い方を模索してきた10年だったと思います。去年の前半くらいからは、歌い方を変えようと大工事を始めました。もともとロック、ポップスを歌ってきたので、今まであまり通って来なかったR&BやHIPHOPとか、求められるスキルも上がっているので、『時代に合わせた歌い方も取得しよう』と現在もまだ工事は続いています」