「愛子天皇」「女性天皇」を支持する国民の声は雅子さまの30年を知る私たちの実感だと思う 北原みのり
なぜなら、これがいかに皇室を生きる女性たちにとって残酷な制度であるのかを、私たちはこの30年、皇后になった雅子さまの姿を通して知ってきたのだから。 今、愛子内親王を天皇に……という声が大きくなっている。今年の共同通信の世論調査では、女性天皇を認めることに賛同する人は90%にもあがったという。まさに、右も左も中道も……思想信条関係なく、私たちは女性天皇を求めているのである。それは恐らく、「男女平等」思想からきているというよりは、雅子さまのこの30年を知っている者としての実感ではないかと私は思う。少なくとも私はそうだ。 憲法で男女平等が定められていても、夫婦同姓強制をはじめとする民法レベルでも、性犯罪に関する刑法レベルでも、女性にとってはまだまだ……という社会である。そういう中で、現在の天皇・皇后が背負ってきたものは、「実はまだまだ日本社会って……」というものが凝縮された矛盾のようにみえる。 思えばお二人が結婚された当初、現代的な家庭教育を受けた新しい皇太子と、国際感覚を持ち皇太子の隣で堂々と自分の言葉で語るエリート女性の組み合わせに、「きっと皇室を変える」と期待する声は大きかった。それでも私たちが目撃したのは、皇室が変わる様ではなく、雅子さまの体調が悪くなり、自らの言葉を制限されていくように見える姿だった。皇太子だった天皇陛下が「雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実」と自ら強い言葉で公言し強い批判にさらされたときは、たとえ将来の天皇であっても、身内批判は許されないのかと衝撃を受けた。戦前の男尊女卑的家族制度は、たとえ憲法が変わろうと、民法が変わろうと、時代が変わろうと、私たちを縛り続けている。
37歳での高齢出産をした雅子さまの運命は、この国を生きるある世代の女性たちにはどこかトゲのように突き刺さってきた。外交官という仕事を辞めたからには皇室外交をもっともっとしたかったのではないか。男子を産むプレッシャーはどれほどのものだったか。産むまでにどれほどの体験をされてきたのか。だからこそ、雅子さまが産んだ大切な女の子であった愛子さまの成長は、私たちの奥底に突き刺さったトゲの傷を癒やすような力を持つ。もし世論の声がさらに大きくなり、女性天皇論への道が開かれるならば、それこそ、雅子さまが人生をかけてこの国の皇室を「変えた」ことになるだろう。雅子さまが大きな意味で報われる、大きな意味でこの国の皇室を変える、そういう「結末」を私たちは見たいのかもしれない。 皇室典範の書き換えに向けて、どのような結末を迎えるだろう。イギリスのポップなマグカップ感に比べ、日本の皇室の重たさの根にある男尊女卑。「これは性差別ではない、伝統だ」という人は多いが、性差別とはそもそもそのように言われ、肯定されてきたものである。その結末によっては、この国に様々なレベルで残る男尊女卑の意識にやはり影響を与えるのだろう。せめて女性天皇を認める方向での合意を望みたい。
北原みのり