かつて「日本は優秀な官僚で持っている」といわれてきたが…“エリート国家公務員時代”の終焉。若手が早々に打ちのめされるワケ【同志社大学教授が解説】
度を越したバッシングがもたらす弊害 相互不信に基づく関係の行き着く先は、いわゆる官僚主義である。市民に対しては形式的な手続きを求める一方、自らは最低限の仕事しかしないといった姿勢がそれだ。規則を盾に身を守る官僚主義は、公務員に対するバッシングや厳しい要求から身を守る最強の防御手段なのである。そのため世間の批判や要求が強まるほど、公務員の官僚主義的な振る舞いが目につくようになる。 かつて改革派の首長によって職員の仕事ぶりや日常的な行動に対する管理が厳しくなった自治体で、住民の口からつぎのような声が聞かれた。 「窓口へ申請に行ったとき、以前なら少々記載ミスがあっても修正すれば受け付けてくれたが、いまはちょっとしたミスでも受け付けてもらえなくなった」 「以前は休日のボランティアに市職員が大勢参加していたが、最近は姿を見なくなった」。 また役所内では、こなすべき仕事が終わっていなくても、権利を主張して年次有給休暇をめいっぱい取得する職員が増えたという声も耳にする。ルールや建前を前面に出してサービスを控えるのである。 これは狭い意味での公務職場に特有の現象ではなく、個人の倫理観や良心に依存するような仕事ではどこにも起こりうるリスクである。ただ組織論や行政学を少しでも学んだ人たちなら、ここでいう官僚主義と本来の官僚制との間に大きなギャップを感じるのではなかろうか。 M・ウェーバーによれば、官僚制は支配の三類型の一つである「合法的支配」を行うためのシステムである※3。つまりルールに基づいて公正で合理的な職務の執行を行う制度であるはずだ。 ※3 川端裕人『PTA再活用論』中央公論新社、2008年、176頁 太田 肇 同志社大学政策学部・同大学院総合政策科学研究科 教授
太田 肇