戦後で「最大の善人宰相」…村山富市の「立派だったところ」と「いただけないところ」
「村山談話」は今に至るまで禍根を残した
河野洋平は、村山内閣のもう一つの大きな失策である「戦後五十年談話」の閣議決定を後押ししたのである。 戦後五十年談話とは、戦後50周年にあたる平成7年8月15日に閣議決定された首相談話で、日本の「植民地支配と侵略」を認め謝罪したもので、村山政権で唯一、社会党色を出している。 当然、自民党内には、表現の修正や撤回を求める反対論が渦巻いたが、河野はあっさり容認した。しかも「村山談話はきわめて貴重な、政治的な宝である」と自画自賛した。 宮澤政権の官房長官時代もろくに調べもしないで、慰安婦問題でも「官房長官談話」を出して今に至るまで禍根を残した。 翌年の自民党総裁選で出馬断念に追い込まれたのは、自民党の自浄作用が働いたといえよう。
乾 正人(政治コラムニスト・産経新聞上席論説委員)