【新・1000円札裏に注目】北斎が手本としたすごい彫工がいた!?: "波の伊八" と呼ばれた異才が生み出した躍動する波涛を見よ!
般若心経の「空」を彫り出す
一つとして同じ形のない波を彫り続け、50代後半に集大成といえる「波に宝珠の図」にたどり着く。 制作秘話が行元寺に伝わる。当時の住職は「『色即是空(しきそくぜくう) 空即是色』の『空』を彫ってほしい」と伊八に依頼。これは仏教の基本経典である般若心経の最も重要なフレーズで、「色」は形あるもの、「空」は実体のないもののこと。つまり、「万物は不変ではない」という意味だと解釈される。
伊八は「空」のイメージを、現れては形を変え、消えては現れる波に重ねた。幾日も馬で海に入って観察し、ついには波に浮遊する宝珠を見たという。 宝珠とは仏の教えの象徴で、仏や龍が手にした像はあっても、主役に据えた作品は前代未聞。伝承の真偽は不明だが、砕け散る波頭や、その下にできる水のトンネルを真横から捉えた迫真の構図は、実際の荒波にインスピレーションを得たことは間違いない。
「浪裏」は伊八の彫刻を元にした?
「北斎が『浪裏』で模倣したのは明白」と力説する片岡栄さんは『名工波の伊八、そして北斎 ―伊八五代の生涯―』の著者で、研究生活およそ50年の第一人者。「『波に宝珠の図』をクローズアップすると一目瞭然。メインの大波はうり二つ、細部は画題に合わせてアレンジしている」と指摘する。
1. 火炎が立ち上る宝珠は富士山に置き換え 2. 大波は輪郭や裏側の刻線が酷似 3. 小波は富士山の形にアレンジ 4. 上部を見せる宝珠は同じアングルの船に置き換え
さらに、波の起こり始めから崩落までの時間経過を捉え、一枚の絵、彫刻で表現した点について、「伊八の構図は画期的だった。偶然の一致とは言えないでしょう」と解説する。
技法の面でも共通点がある。北斎は「定規とぶんまわし(コンパス)で万物を描ける」との持論を唱え、1812年頃の絵手本『略画早指南(りゃくがはやおしえ)』で直線と円を組み合わせた描き方を図解している。定規とぶんまわしを使う「規矩(きく)術」は大工の基本。彫工である伊八も創作に生かしており、行元寺に残る「波に鶴に朝日」では、よどみない流線形の波を表現している。 「波に鶴に朝日」の下には、3代目堤等琳(つつみ・とうりん)の弟子の絵がある。等琳は北斎と同居したり、共作したりと親交の深い町絵師。前出の飯縄寺では伊八の欄間彫刻と共に、等琳自身の天井画が本堂を飾っている。 北斎は房総を一度ならず訪れた。片岡さんは「等琳たちからうわさを聞いて、伊八の波を目にしたのでは。同業者に『関東では波を彫るな』と言わしめたほどの名人の作品、見逃すはずはない」と確信している。 とはいえ、北斎と伊八の関係を裏付ける史料はなく、傍証にとどまる。「どちらも生涯にわたり“形のない水の動態”を探求し続けたが、伊八の方がパイオニア。彫工は絵師より地位が低いと見なされてきたが、ようやくスポットが当たり始めた」と、名工の真価について語る。 伊八が没して200年を迎え、生誕地では顕彰の機運が高まっている。 旗振り役の「波の伊八鴨川まちづくり塾」は5月に記念イベントを開催。会長の清水宏さんは「伊八は地域に根付いて、江戸に負けないものづくりをした。その気質を受け継ぎ、鴨川の人々とまちづくりに生かしていきたい」と目標を語った。
【Profile】
藤原 智幸(ニッポンドットコム) 出版社勤務を経て、現在はニッポンドットコム編集部エディター。旅や日本文化を中心に記事を制作している。