「RYOEI」新曲発表 ── 島田紳助さんが歌詞提供
今でも1か月に1回紳助さんに会っている
そしてヘキサゴンファミリーとして、2009年7月発売の「泣いてもいいですか」の作曲を担当。同年8月、紳助さんプロデュースによるシングル「ひらり」でよしもとアール・アンド・シーからメジャーデビュー。そんな経緯があっただけに、RYOEIは紳助さんについて「父親のような存在」と語り、2011年8月に紳助が引退した際は「僕は今までどおり、何があっても、紳助さんに恩を忘れず、歌を通して感謝のメッセージをずっと送り続けます」と発表した。 「人生の先輩ですし、師匠でもあるし、恩師です。今でも1カ月に1回くらい会ってますよ。一緒にご飯食べに行ったり。野球をやらしてもらったり。それと、『Bar HASEGAWA』で1カ月に1回、歌わせてもらってるんで、そのライブにもたまに来られます。来られた時は、お客さんみんな、ビックリされますね。紳助さんは今、親しい友達と一緒にゴルフをやったり、野球をしたり。ハワイとか海外旅行にも行かれたりしてます。芸能界を辞められてから、ストレスはないみたいですよ。復帰ですか? そういう話はまったく聞いたことがないですね」
紳助さんのメールをブログに公開
恩師から届いたメールは自身のブログにも公開。以下はその全文だ(ブログから)。 《紳助さんからメッセージ》 リョーエイと久しぶりに曲を作りましたー。 芸能界やめて早3年半、私はというと色んな所に行ってます。 若い時から海外に行く時間もほとんど無く、どこにも行ってない生活でした。 短い言葉で言うと「間に合った!!」って感じです。 爺さんになって行っても心震えませんからね。 芸能界でやりたいことは全てできたし、最後はいっぱい歌を作れた事が楽しかったです。 50歳過ぎたら人生を逆算し出します。 子供の頃に夢見たこと、若い頃出来なかった事を残り時間の方が圧倒的に少なくなって、まるで敵討ちのようにやっておきたくなるのです。 その一つが歌でした。 歌が好きだけど、下手くそで歌えない。 若い頃は勢いでバンドを作ったりしましたが、まさに勢いだけで内容はお恥ずかしい! ですからみんなの歌を沢山作れて楽しかったですよー。 その後もリョーエイとは仲良くしています。 いつ聞いてもやっぱりうまいですよね。 まだまだ可能性を信じています。 上手いだけでは売れない世界ですが、上手くないと売れる資格や可能性はないですからね。 リョーエイは十分資格持ってますからね。 みんなも一緒に夢を追いましょう。 日々の生活に追われると自分の夢を追えなくなります。 夢を追うことはリスクのあることです。 ですからほんの少しリョーエイの夢に乗っかって人生楽しみましょう。 奥さんになるほど乗っかれませんが! 子供達は否応なしに乗っけられてます、かわいそう!!! 奴が売れるか売れないか! 死ぬまで歌い続けられるか! 歌い続けてたらそれは幸せな一つの成功ですよね。 最後まで好きな歌手でいれたのですから。 人として生まれて、本当にしたい仕事をしている人は数パーセントですから。 それで最後まで歌手で生きられたら人生幸せです。 だから私も幸せでした。 そして今もめちゃ幸せです(笑) 行きたい時に行きたい場所へ好きなだけ行けるって幸せです。 ノーストレスでーす。