第15回 ヤングパワー爆発!3連覇達成・西鉄 vs 投打に決め手欠く3連敗・高齢化巨人(上)|「対決」で振り返るプロ野球史
話題にならない57年だが、西鉄の選手は重要視する
左から中西太、豊田泰光、大下弘
54年は中日・杉下茂のフォークボールがプロ野球界を席捲したが、55年は、巨人、南海が指定席に戻り、両チームによる4度目の日本シリーズとなった。このシリーズ、初めて南海が王手をかけたが、巨人・水原茂監督が藤尾茂、加倉井実の若手を思い切って起用。これが成功して巨人が6、7戦を奪い逆転日本一となり、南海・鶴岡(山本)一人監督を悔しがらせた。 しかし、この若手起用が巨人の苦しさを物語っていた。川上哲治、千葉茂、藤本英雄、中尾碩志らの戦前からのスター選手たちが高齢化。ホームランを打てる選手がおらず、本来ならアベレージヒッターの与那嶺要が13本で最多という状態だった。翌56年は、別所毅彦が最多勝(MVP)と踏ん張り、2年目の“エンディー”宮本敏雄が打点王の打棒を見せ、何とか連覇を達成したが、チームには51~53年の3連覇当時の迫力はなかった。 迫力十分だったのは、再び南海に競り勝って2度目のVを達成した三原脩監督率いる西鉄だった。中西太、豊田泰光、河村英文、高倉照幸、仰木彬、和田博実らの主力は、20歳を越えたか越えないかの若者たち。ここにルーキーの稲尾和久が加わったことで、西鉄のヤングパワーは、ジグソーパズルの最後の1片がピタリとはまり、完成された。 この西鉄-巨人の「日本シリーズ物語」は書き尽くされた感があるのだが、実は一つの欠落がある。それは西鉄V2となった57年のシリーズが、ほとんど語られてこなかったことだ。 最初の56年は・・・
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週刊ベースボール