介護と更年期が同時に訪れた阿川佐和子さん「父に病院にいてもらうか、私が仕事を辞めて実家に帰るか、そんな状況に」|STORY
「更年期」と「介護」が 同時にやってきた
エッセイスト、小説家、インタビュアー、女優として広くご活躍の阿川佐和子さん。ご両親の介護が始まったのは58歳のとき。50代は、更年期と介護が重なり、大変な時期だったと当時を振り返ります。STORY世代にも、近い将来やってくる“更年期と介護”に向けて、阿川さんがどう考え、どう乗り切ってこられたのか、語っていただきました。
阿川佐和子さんプロフィール
1953年生まれ。エッセイスト、小説家、インタビュアー、女優。著書には、ミリオンヒットを記録した『聞く力 心をひらく35のヒント』や、よみうりランド慶友病院会長・大塚宣夫氏との対談『看る力』(ともに文春新書)等多数。
◇ 兄弟、知人、みんなの力で乗り切った介護生活
――50代から60代にかけて、9年間ご両親の介護をされたとうかがいました。さぞかしご苦労があったと思います。 でも、1人でやっていたわけではないんです。私には兄と2人の弟がいますが、上の弟は当時アメリカ在住、下の弟は途中から海外転勤になったので、離れていましたが、4人で協力して分担しました。また、私が子どもの頃、わが家でお手伝いさんをしてくれていた「まみちゃん」にお願いして、泊まり込んでもらっていましたし、頼りになる親戚もいた。みんなでやったんですよ。 ――ご両親の異変に気付いたのはいつ頃ですか? ’11年の秋に母が心臓の手術をしたのですが、そのとき、3月の東日本大震災を覚えていないと母が言ったんです。〈あの大震災を覚えていないってどういうこと?〉と衝撃を受けました。当時の両親は2人暮らしで、母は食事も作っていましたし、普通に生活していたんです。でも、母の認知症は始まっていたんですね。 父は、頭はしっかりしていましたが、足が弱くなり、転倒することがよくありました。あるとき、転んで頭を切るけがをして救急車で病院に運ばれました。傷は数針縫う程度だったのですが、誤嚥性肺炎を起こしていて、1カ月ほど入院しました。回復しましたが、退院後、父が家に戻って、両親2人で生活できるのかと、兄弟で話し合いました。 父は昔から「俺を老人ホームに入れたら自殺する」と言っていたので、一瞬は、〈私が両親と同居し、出かける仕事を全部辞めて書く仕事に絞ろうか〉とも考えたんです。でも、私の性格だと、親とぶつかって、私が壊れてしまうのが目に見えている。そこで、知人にすごくいい病院を紹介してもらい、なんとか転院してもらいました。父は、そこの病院食を食べると、「うまい!」って言ったんです。すかさず「ほらね、いい病院でしょう? 食事やお酒の持ち込み、外泊も自由で、患者を赤ちゃん扱いせず、敬意を持って接してくださるし。しばらくここにいてね」と説得して入院してもらいました。