地震がなければ救えたはずの命…「災害関連死」の申請結果を待つ遺族の思い
避難生活などで体調が悪化し亡くなる「災害関連死」 石川県内では地震の発生後に亡くなった人のうち、100人を超える人について遺族が災害関連死の申請を行っている。 救えたはずの命。救助を待つ間に妻を亡くした男性の思いを取材した。
地震さえなければ…間に合わなかった救助
輪島市滝又町に住む、中竜夫さん71歳。能登半島地震の発生から9日後に妻・紀子さんを亡くした。紀子さんと2人、畑を耕しながらの穏やかな暮らしは地震で一変。自宅に大きな被害はなかったが、滝又町は道路が寸断され、孤立した。 中さんと紀子さんは近所の人とともに、近くにある農業用の倉庫に身を寄せた。14、5人が薪ストーブ1台で暖をとりながら救助を待つ日々。春に備えて買っておいた肥料の袋の上に布団を敷いて、ベッドのかわりにした。中さんは昼夜を問わずストーブの薪を燃やし続けた。毎日の睡眠時間は1時間ほどだったという。 最低気温が0度ほどの日が4日続いた1月10日。紀子さんは昼食を食べてトイレに行った後、突然体調が悪化。近くの避難所で救命措置を受けたが、およそ3時間後に帰らぬ人となった。 中竜夫さん: 「寒いところに寝泊まりして、炊事から洗濯から寒いところでやっていたから、体が冷えたんだろう。」 死亡診断書には「心疾患の疑い」と記載されていた。自衛隊がヘリコプターで救助に来る前日のことだった。 中竜夫さん: 「地震さえなければ、救急車ですぐに病院に行けていれば恐らく助かったと思う。それだけや、俺が悔やむのは。」
妻が遺した愛犬「クロ」と共に避難
1月中旬。中さんの姿は小松市にあった。 自衛隊のヘリで救助された後、紀子さんがかわいがっていた飼い犬のクロとともに、ペットが同伴できる旅館に二次避難していた。 これまでクロの世話は紀子さんに任せっきりだったという中さん。1人と1匹の新たな生活が始まった。 2月頃、中さんは紀子さんを災害関連死に認定するよう、輪島市に申請した。災害関連死と認定されれば、最大500万円の弔慰金が支給される。