野良猫が歩けない社会は本当に幸せか? ドキュメンタリー映画「五香宮の猫」で“神社”に集まる猫に名前がある理由
被写体を「殺す」可能性
本作は先に海外映画祭で公開された。日本では劇場公開後、牛窓と五香宮の知名度が一気に高まることだろう。観光客の増加が期待できることもあり、地元には多くのポスターが貼られているが、歓迎したい来訪者だけがやって来るとは限らない。 「ドキュメンタリーは諸刃の剣だと思っています。有効に活用できる一方、猫であれ人間であれ、被写体を『殺す』可能性をはらんでいるわけです。ドキュメンタリーは人間の本当のところやプライバシーに関する部分まで掘り下げるので、非常に脆弱なところを突くことにもなってしまう。ですので、制作者としては常に被写体とコミュニティの安全や社会的に良い状態をいつも気にしています」 本作については、やはり猫たちの安全も心配しているという。 「映画を見た人が『飼い主になろうか』と思ってくれる可能性がある一方、『ここに猫を捨てればいいのか』と思う人が出てくる可能性もあります。どうなるかわかりません。何か深刻な事態にならないことを願うばかりです。万が一のことが起きたら、どう対処するべきか考えることになると思います。ただ、僕が今その町に住んでいるのはとてもいいことですね。逃げることができないので」 本作はともすれば、鑑賞者を二次的な「観察者」に変える。自分はどの立場なのか、自分ならどうするか、自分が「参与」している社会はどうなのか。境内で寝転がる猫たちの姿は、さまざまな思いを想起させるきっかけになることだろう。
デイリー新潮編集部
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