箱根駅伝MVP→26歳で引退…箱根8区最速ランナー・小松陽平が明かす“早期引退”の理由「自分の限界が見えてしまった」「ムダな1年をおくるより…」
大学3年時に東海大初の箱根駅伝優勝に貢献する8区区間新の走りを見せ、4年時にも2年連続となる区間賞を獲得した小松陽平。前回に引き続き、本人が大学卒業後に入社したプレス工業を離れ、日立物流に移った後の陸上人生を振り返る。(Number Webインタビュー全3回の第3回/初回から読む) 【画像】引退の決め手となったラスト駅伝は…脱水症状で最下位、限界まで走りきった小松さんの陸上人生を写真で見る
「大学までの選手だった」と言われている気がして…
プレス工業から日立物流(現ロジスティード)に移籍した小松陽平は、2021年春のトラックシーズンから本格的に活動を開始した。心機一転、新しいチームで走力を磨き、トラックでまずは結果を出していこうと考えていたのだ。 しかし、思うように走れない日々がつづいた。 「全然、走れなかったですね。プレス工業に入ったばかりの頃は、大学で走っていた貯金があったのか、5000mで13分46秒を出して順調にスタートが切れたんです。でも、それからダメで、日立に移籍してからも走れなかった。何が原因か分からなくて、苦しかったです。『小松は大学までの選手だったんだな』と言われている気がして、そう思うとなんか悔しくて、見返してやりたいと思っていました」 それから小松は、心機一転「大学時代の自分を越えたい」という明確な目標を立て、集中して練習に取り組んだ。チームメイトの栃木渡について走り、大学時代のように前を行く人に追いつき、追い越したいと思うようになった。
大学時代の自分を越えられたなぁ
結果が出たのは、1年後だった。2022年7月のホクレンディスタンス千歳大会の5000mで13分36秒28の自己ベストを出した。11月のニューイヤー駅伝の予選会(東日本実業団駅伝)では1区4位で予選会3位通過に貢献した。2023年のニューイヤー駅伝では1区を任され、13位とまずまずの走りを見せた。 「自己ベストも出せたし、ニューイヤーも走れた。大学時代の自分を越えられたなぁという手応えがありました」 次回こそは区間賞を取るという気持ちが盛り上がり、勝負の1年と考えていた矢先、小松にとって衝撃的なことが起きた。慕っていた栃木が3月末で退部することが決まったのだ。