山根康広 結婚式の定番『Get Along Together』封印した時期も…デビュー31年で明かした“大阪人らしからぬ”悩み
「中学の文化祭のためにバンドを組んだのをきっかけに、高校から大学卒業までは、ずっとバンド一色でしたね」 【画像あり】デビュー30周年でも「ライブは“精一杯、全力で”」 大学の卒業を控え、山根康広のバンドは解散危機を迎えた。メンバーの就職が決まり、活動を続けるのが難しい状況になったのだ。 「一度、活動を休止して、俺も就職することにしました。サラリーマンをしながらソロで曲作りを続け、週末は曲のデモテープを持って、東京のレコード会社を回っていました。当時はそれしかなかったので、やれることはやろうと思いまして。でも、これがなかなか聴いてもらえないんです(笑)。なんとか担当者に顔を覚えてもらっているような感じでした」 平日は大阪、週末は東京という日々を2年ほど送ったころ、日本クラウンからインディーズに近い形でのデビューが決まった。 「自分で作ったアルバムのなかからデビュー曲を決めようということになり、レコード会社の人たちと5曲ぐらいを選びました。そこから多数決で決めようとなったんですが、俺が選んだのは違う曲だったんです。『わかるんだけど、多数決だからね』という形で決まったのが、『Get Along Together』でした。俺が選んだ『GOOD-bye Love Road』は、いまも大切にしていて、ライブではいつも歌っています」 こうしてデビュー曲が決まり、プロモーション活動を始める。大阪有線放送の勧誘キャンペーンがあり、そこで歌うのはどうかという誘いを受け、週末はショッピングセンターで歌った。徐々に有線放送で順位が上がっていき、50位ぐらいになったとき、東京のテレビ番組から声がかかった。 「関西を中心にリクエストが増えてきていたのですが、誰が歌っているのかわからない人が多かったようでした。レンタルショップのTSUTAYAさんで、いちばんレンタルされているという情報もあったみたいです。テレビに出たこともあり、このあたりから世間で曲と俺の名前が一致してきたようで、全国的に広がっていきました」 注目を集めるようになるまで、1993年1月に曲をリリースしてから約半年が経っていたが、山根はまだサラリーマンと歌手の「二足の草鞋」生活を送っていた。 「務めていた会社の業務は、仮設建築物の設計がメインで、音楽とは関係のない堅い仕事だったんです。まわりから『音楽1本で食べていくのはそんな簡単なことじゃないから、会社は辞めないほうがいい』と言われていて。でもそのころから、俺のことを調べて、総合窓口に問い合わせの電話がかかってくるようになったんです。『山根康広さんはいらっしゃいますか?』と。どこで調べるのか、すごいなって思いました(笑)。『これはまずい』ということで、音楽1本でやっていく決意をし、会社を辞めました」 当時、山根は27歳。それまでライブは地元・大阪中心だったが、全国ツアーも開催するまでになった。 「それまでは、『またみんな来てや~』という感じで、俺もお客さんのことを知ってる感じだったんですよね。それが全国ツアーで知らない場所に行くと、俺は知らないのに、お客さんは俺のことを知ってる。あれ? みたいな(笑)。すごく不思議な感じでした。それまでもライブをたくさんやってきたんですが、イントロが声援で聞こえなかったのは経験がないことでした」 『Get~』はロングセラーとなり、結婚式の定番ソングとして、多くの人が歌った。 「結婚式に呼ばれて、よく歌いました。そういうときに新郎が一緒に歌ったりするんですが、上手なんですよ(笑)。披露宴に来ている方も『よく歌っています』と言ってくださったり、みなさんが歌ってくれているんだなと感じることも多かったです。でも、30代のころは尖っていたといいますか(笑)。ほかの曲も聴いてほしいという思いが強くて。その時期の自分のなかでの“推し”の曲を聴いてほしくて、あえて歌わなかったツアーもありました。いまは反省しています。みなさんが喜んでくださるなら、歌いたいって思っています」 2023年にはデビュー30周年を迎え、ベストアルバム『PIECE OF LIFE 30TH ANNIVERSARY BEST ALBUM』とニューアルバム『I AM』を同時発売した。 「デビュー当初は、3~4年くらい続けられればいいなと思っていたので、30周年を迎えられたことに、自分でも驚いています。ライブをやるたびにお客さんが来てくれると、もうちょっとできるかなって。そう思いながら続けてきたら、30年やってこれたという感じです」 曲は年代ごとに、それぞれの色がついているという。 「デビューアルバムは、アマチュア時代のベスト的な1枚です。20代は、とにかくやりたいことに挑戦しました。30代で自分の音楽が固まってきて、40、50代はそれを、自分のなかで大きく育てている感覚です。いまは、それが上手にできていると思います。『Get~』もみなさんに育てていただいた曲。大切に歌い続けたいと思います」 57歳になったいまも、精力的にライブをおこなっている。 「俺自身、この曲は難しいなって、いつも思っています。音符が並んでいるほど、音の高低差が少なくて歌いやすいんですが、俺は音符が飛ぶ曲が好きなんですよ。そのほうがグッとくるんです。ほかにもキーが高い曲が多いですし、ライブのときに『もっと楽に歌えるキーでいいんと違う?』と自分でも思うんですが、ギリギリで歌うのがいいというか。自業自得なんですよ(笑)。ライブ前は、今日は少し抑えめにいこうと思うんですが、のっけから全力疾走しちゃうんです。でも俺のライブは“精一杯、全力で”がモットーなんで、このままいきたいですね」 デビュー30年を迎えての“課題”は大阪人らしからぬ悩みだった。 「MCが本当にしゃべれないんですよ。ジョイントのイベントに呼ばれたりすると、ほかのアーティストのみなさんは、客席をすごく盛り上げて、歌につなげていらっしゃるんですが、まったくそれができない。話を振られても『はい』しか言えない(笑)。もっとしゃべったほうがいいと言われるんですが、何をしゃべればいいのか本当にわからなくて。最近は努力してるんですが……31年めの課題は、MCが上手になることです(笑)」 やまねやすひろ 1966年生まれ 大阪府出身 4月26日、5月6日に246ライブハウスGABU、8月17日にZeppなんば(ともに大阪市)にてライブを開催予定
週刊FLASH 2024年5月7日・14日合併号
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