意外と知らない、民主党時代に硫黄島の遺骨収集が大きく進んだという事実
埋もれた民主党政権下の成果
1968年から本格的に始まった硫黄島の遺骨収集史の中で、年間収集数が激増した年がある。自民党から政権を奪取した民主党の菅直人氏が首相に就いた2010年度だ。 東京都選出の国会議員である菅氏は野党時代から、東京都の一部である硫黄島の遺骨収集が進んでいないとして政府を批判してきた。そんな足跡がある菅氏は2010年6月に首相に就任すると、中央省庁の横断組織「硫黄島における遺骨収集のための特命チーム」を発足。そのチームリーダーに米国通の阿久津氏を任命し、米国に派遣した。 阿久津氏は米国で、日本側戦死者が埋められた「集団埋葬地」2ヵ所の記録が残されていることを確認。その記録に基づいて発掘作業を行ったところ、2010年度だけで822体を収集した。前年度まで5年間の平均収集数は50体だった。その16倍もの戦没者を帰還させたのだ。特命チームは翌年度からの3年を「集中実施期間」と位置づけ、年4回程度だった収容作業を通年で実施。結果、3年間の収集数も166~344体と大きな成果を上げた。 なぜこの期間だけ、収集数の大幅増を実現することができたのか。その要因を知ることは、今後の遺骨収集の加速化のヒントを知ることになる。そんな思いで行った阿久津氏のインタビューは、3時間弱に及んだ。そして僕は知ることになった。それは、省庁間と日米間の「二つのメンタリティ」が遺骨収集の進展を阻害してきた可能性があるということだった。
酒井 聡平(北海道新聞記者)