スティーブン・スピルバーグが作り上げた不朽の名作!恐竜が現代によみがえる映画「ジュラシック・パーク」
スティーブン・スピルバーグ監督が生んだ不朽の名作が「ジュラシック・パーク」シリーズだ。 【写真を見る】映画「ジュラシック・パーク」より 小説を原作とする同作品は、映画として6作品が公開。直近では、2022年に「ジュラシック・ワールド/新たなる支配者』が人気を博した。しかし、やはりすべての始まりとなった最初の作品「ジュラシック・パーク」なしに何も語ることはできない。 ジュラシック・パークは、最新テクノロジーによってクローン再生された恐竜が現代によみがえるという物語。コスタリカ沖の孤島に建設した施設に生物学者アラン・グラント(サム・ニール)と恋人の古代植物学者サトラー(ローラ・ダーン)が招待されるところから始まる。しかし、思わぬトラブルの続発により、檻から解き放たれた恐竜たちとの戦いを余儀なくされていく。 当時では最先端のCG技術を駆使。それでも、今見ると粗かったり、チープに見えてしまう場面ももちろんあるにはあるのだが、恐竜が最初に襲いかかってくるシーンはSFパニックアクションのお手本となっているのではないだろうか。コップに入った水の波紋で、とてつもなく大きな生き物が徐々に近づいてくることを表現。最初は巨大な身体を見せておいて、恐竜の頭が画面上にいっぱいになると、作中の子供たち同様に叫びだしたくなってしまう。展開としてはベタの連続なのだが、だからこそキャラクターそれぞれの個性が際立ち、作品全体の魅力を底上げしているように感じる。 「激突!」(1971年)では見えない人間が迫りくる恐怖を描き、「ジョーズ」(1975年)でも次にどこから襲いかかってくるかわからないサメの脅威を伝えたスピルバーグ。「ジュラシック・パーク」でも共通する点があるとすれば、脅威となる対象の登場回数ではないだろうか。 後の「ジュラシック・パーク」シリーズでは恐竜が当たり前のようにその世界に生きているのだが、最初の作品ではそれほど何度も恐竜が襲いかかってくるわけではない。だからこそ、「いつ出てくるのか」というドキドキ感を煽り、とりわけ後半の恐竜との戦いは手に汗握るものとなっている。 一方で、恐竜という生き物へのリスペクトも感じられるこの作品の大きな特徴だ。作中で彼らに襲われて犠牲となる人も多くいるが、その行動の端々から「自業自得なのでは」と感じてしまう側面もあり、恐竜を単なる殺戮生物と見ることはできない。同様に、恐竜を人間が退ける場面でも銃を使って倒すのは最小限になっており、恐竜が大好きな人が見ても受け入れやすいものとなっているのではないだろうか。 すでに公開から30年以上が経過している同作品だが、一度見たら忘れられないシーンがある。おそらくこの作品を鑑賞したことがある人の多くが同じシーンを挙げるはずだ。 それがラストの場面。何度となく危機をくぐり抜けてきたアランやサトラーら一行だが、凶暴な肉食恐竜ヴェロキラプトルに四方を囲まれてしまう。万事休すと思われた瞬間、ティラノサウルスが登場。圧倒的な強者がヴェロキラプトルをまるで雑魚のように蹴散らすシーンは爽快で、ジョン・ウィリアムズが手掛けるテーマパークでもおなじみの荘厳な音楽も相まって感動すら覚える。パークの飾りが落ちてきてティラノサウルスと同じ画角に収まると、一瞬の美しさを切り取る写真のような映像となっており、思わず鳥肌が立ってしまう。 やはり名作は何度見ても色褪せない。そんな当たり前のことを私たちに教えてくれる作品となっており、生み出したスピルバーグには改めて尊敬の念を禁じ得ない。 文=まっつ
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