北九州国際映画祭での青山真治監督追悼特集、映画人コメント第2弾到着
北九州国際映画祭(KIFF2023)にて、同地の出身であり令和4年3月に逝去した青山真治監督の追悼特集〈帰れ北九州へ──青山真治の魂と軌跡 SHINJI AOYAMA RETROSPECTIVE 2023〉が行われる(12月14日~17日)。 上映作品は北九州サーガ3部作の「Helpless」「EUREKA ユリイカ」「サッド ヴァケイション」、ならびに「共喰い」「東京公園」「空に住む」の全6本。上映館は、昨年8月の焼失から再建された老舗の小倉昭和館で、本特集がこけら落としとなる。 青山監督と縁のあった映画人のコメント第2弾が到着した。
■菅田将暉(俳優) 正直まだうまく飲み込めずにいます。 明日にでも連絡が来て、また現場で会えることを楽しみにしている自分がいます。 19歳の夏、映画『共喰い』に出会い、青山真治監督と出会い、僕は人生が変わりました。 人の生活と映画のこと、俳優部と映画のこと、音楽と映画のこと、撮影の前日に何度も観ている映画のこと、 時々酔っ払ってはミックジャガーを踊り、色んな話をしてくださいました。 その全てが無知な自分に突き刺さり、今の自分が形成されています。 撮影現場で褒められた事は二つだけで、皿洗いが下手な事とステーキを右から切った事でした。 試写会で自分の不甲斐なさに落ち込んでる時に「遠馬、あと5本やろう」と言ってくれた言葉が頭から離れません。 どんな現場にいても、どんだけしんどくても、観られているかもしれない、と思うと不思議な力が湧いてきます。 29歳になり、そろそろ青山監督に怒られないとな、と思っていた矢先、でした。 なので、まだまだ会いたいです。また一緒にロカルノに行きたかったです。 あのロックスターみたいな佇まいや酔って真っ赤になって寝ている姿を見たかったです。今なら一緒に真っ赤になれると思います。 いつまでもそんなことを夢見ているとは思いますが、これからもきっと観てくれていると信じ、現場に生きます。そして映画を観て、会いに行きます。 出会えたことが僕の誇りです。 青山真治監督、ありがとうございました。 ■黒沢清(映画監督) 青山は太い映画というハイウェイを、横に文学と音楽をたずさえて、いったいどこを目指して疾走していたのだろうか。私は東京にいる彼しか知らなかったが、その目はいつも北九州の方角を見ていたように思う。出生地であり終着点でもあるその場所が彼にとって何であったか、映画や文学や音楽にとってそれは何を意味するのか、それがこれから、ゆっくりと時間を掛けて明らかになっていくだろう。 ■多部未華子(俳優) 青山監督は、私と会うたび、20代のときに出演したドラマのことを好きだ好きだと仰ってくれました。「奥さんと多部さんを娘にしたいくらいだよねって話してるんだよ」と。 初めてお会いしたときからこんな調子でしたので、青山監督はとても優しく、いつもニコニコしている、それが私が思う監督の印象です。 そんな初対面からスタートした映画の撮影はそれはそれは穏やかに和やかで、静かな雰囲気のまま終わりました。それは私にとって、とてもとても心地の良い現場でした。 ■青山監督へ なかなか初対面の方と和気藹々とお話しするのが苦手な私ですが、あんな風に優しく声を掛けてくださり、ありがとうございました。 監督の周りの方が口を揃えて、お酒をすごく飲む人だと言っていたので、くれぐれも、天国で酔い潰れてませんように! ■岸井ゆきの(俳優) 『空に住む』のクランクアップのとき、「また一緒に映画をつくろうね」と言って握手をしてくださいました。私にとってはこのひと言がこの上なく嬉しくて、事務所で「青山さんがそう言ってくれたんだ!」と自慢げに話したりなんかして、だからこの言葉は私がこれからどんな俳優になろうと、叶わない夢として、輝きを増して続けていく糧になります。 本当はもっと聞きたいことがあったのですがまたいつかがあると思って、言いたいことだけ伝えてしまいました。 でもきっと答えは青山さんの映画の中にあって、今も映画を通して応答してくれる。 思えばそうやって今までも映画を観てきたし、たとえば私は大好きな映画のその作者に、ほとんど会ったことがないけれど、同じように映画を通して大切な何かを受け取ってきました。 だから、青山作品の一員として想いを伝えられる距離にいたこと、その瞬間のすべてがこれからもずっと残ることがわたしの誇りであり自信です。 青山さん、ありがとうございました。 ■岩田剛典(EXILE/三代目 J SOUL BROTHERS・俳優) 『空に住む』という作品に参加させて頂き、青山監督の現場での演出が、自身が台本を読んでイメージしてきた選択肢には無いものの時があって、遊び心が溢れた演出にワクワクさせられる現場でした。 スタッフさんからは監督だいぶ丸くなったんだよ~みたいな話をされましたが、自分にとってのイメージは寡黙かつチャーミングな監督でした! ■宮﨑あおい(俳優) 青山さんがお空に帰ったと聞いた日 私は北九州にいました。 しかも、ちょっと大きな車に乗って旅している途中。 ユリイカみたいに。 きっと、青山さんに導かれて北九州にいたんだと思います。 私の人生の大切な瞬間にはいつも青山さんがいます。 青山さんと出会って 映画が好きになって 目指すべき大人たちに出会って 今もみんなの背中を追っかけて 仕事を続けています。 私の幸せを心から喜び、 青山さんの笑顔と涙が溢れ続けていたあの日の景色は 私を支え強くしてくれています。 日々大好きな気持ちが増していますが、青山組の一員としてまっすぐ進んでいきます。 これからも、監督の作品が愛され続けることを願っています。 ■板谷由夏(俳優) 板谷、なんもすんな。 青山監督から 『サッド ヴァケイション』の現場で 最初にかけていただいた言葉です。 演じる、ということに向かう時 いつも心にある言葉。 なんもすんな。 私のお守りです。 ■荒井晴彦(脚本家・映画監督) 『共喰い』のロケハンで小倉へ行った。青山は小倉昭和館、旦過市場を案内してくれ、俺は合馬たけのこを買った。そのあと2階に上がる階段に『サッド ヴァケイション』のポスターが貼ってある飲み屋で飲んだ。 できあがった『共喰い』のラストには、なぜか「帰れソレントへ」が流れた。山田勲生と青山のギターだった。青山は「帰れキタキュウへ」と歌っていたのかもしれない。青山が帰っているなら、行こう、北九州へ。 ■中原昌也(ミュージシャン・作家) 上映に皆さんが集まれば、死者蘇生も夢じゃない! ■月永理絵(ライター、編集者) 映画とは自分の想像よりずっと大きく、ときに人生よりも巨大だ。だからその大きさに徹底的に打たれるしかない。青山真治という人は、そう私に教えてくれた。そして彼の遺した映画もまた、つねに途方もなく大きな何かに挑んでいたのだと、いま改めて思う。 まずは青山真治の映画を見に行こう。呆然と立ち尽くし、怯みながら、その大きさを語る言葉を見つけるために。
〈帰れ北九州へ──青山真治の魂と軌跡 SHINJI AOYAMA RETROSPECTIVE 2023〉
会期:令和5年12月14日(木)~17日(日) 会場:小倉昭和館、J:COM北九州芸術劇場 中劇場 企画:ミラクルヴォイス 主催:北九州国際映画祭実行委員会、北九州市 協力:WOWOW、スタイルジャム、ショウゲート、ビターズ・エンド、アスミック・エース、カズモ、ブランディッシュ、LDH JAPAN 特設サイト:shinjiaoyamaretrospective.com