【インタビュー】エディー・ジョーンズが語る「日本の選手たちには″大谷翔平″になってもらう」
名将が9年ぶりに日本に戻ってきた。 「’95年に日本で指導者のキャリアを始めて以来、どこにいてもずっと日本代表に対して使命感を持っていたし、日本でキャリアを終えたいと思っていた。日本代表にはまだ成長の余地がある。長いキャリアで学んだことすべてを還元したい」 【画像】戻ってきた名将…! エディ・ジョーンズ インタビューでみせた「素顔写真」 豪州生まれのエディー・ジョーンズヘッドコーチ(64、以下HC)が初めて日本代表HCに就任したのが’12年。当時、日本代表はW杯7大会で1勝しかしたことがなかった。ジョーンズHCは朝5時から一日5回の猛練習を課すなど、ハードワークをテーマに日本代表を鍛え、’15年W杯で優勝2回(現4回)を誇る強豪、南アフリカを撃破。「スポーツ史上最大の番狂わせ」と報道されるほど世界を驚嘆させた。その手腕を買われ、同年11月からイングランド代表HCに就任。’19年大会では世界最強の実力国・ニュージーランド代表(オールブラックス)を破り、準優勝に導いた。’23年大会では優勝2回の豪州代表を率いている。 「功績や称賛はすべて選手のもの。’15年W杯の日本代表は、これまで指導してきたどのチームよりも素晴らしい選手たちが揃い、ハードワークをした。私も指揮官の役割を果たすことができました」 しかし――とジョーンズHCは筆者の目を見た。 「この8年間、日本代表のトップ10の国に対する勝率は7%でした。この勝率を75%に上げないとベスト4には入れない」 1月の会見でジョーンズHCは「世界ランク12位から1位になる」と断言。「どの国よりも速いラグビーができることは私たちが世界に対して持っているアドバンテージ」と、日本代表の新しいテーマとして『超速ラグビー』をブチ上げた。2月、福岡で行われた代表候補合宿では、同HCは選手全員と一対一のミーティングを敢行した。 「選手たちから『トップ4に入りたい』『世界的な選手になりたい』という声があがった。言い方を変えれば選手たちは″ラグビー界の大谷翔平″のようになりたい、と思っているんです。私の仕事は選手たちの夢を叶える方法を見出すことです。選手たちも変わらないといけないし、私もそれは同じ。私が選手からどれだけ多くのことを引き出していけるかが大きな挑戦なんです」 大谷は、野球界で誰もが「不可能だ」と思っていた二刀流でメジャーリーグを席巻し、ホームラン王まで獲って世界を驚かせた。 「日本の選手には、大谷のようになれるポテンシャルがある。『超速ラグビー』を形にできれば、オールブラックスにも勝てるし、世界一にもなれます」 ジョーンズHCは、’15年W杯まではハードワークを選手に求めた。要求レベルに達しない選手は容赦なく叱り飛ばした。’19年大会で4トライを挙げて、史上初のベスト8入りに貢献した福岡堅樹(31、引退)も、’12年の合宿でやる気のないそぶりを見せて「帰れ!」と叱責された一人だ。 しかし2月の合宿で同HCは「スゴイ!」「スバラシイ!」と人が変わったように、常に笑顔で選手を褒め称えた。 「時代が変わり、世代が変わってきたのでコーチングも変わってきた。私が指導をはじめた30年前は規律を大事に、選手を怖がらせる雰囲気作りが大事だった。でも今はうまく誘導し、選手たちで解決策を考えるよう促す。ただ、要求する水準は絶対に変えない。選手に対して厳しい話をする時は個別に行っています」 日本では企業スポーツだったラグビーのプロ化が進み、競技に集中できる環境が整ってきたが思わぬ弊害もある。 「かつて指導したサントリー(現・東京サントリーサンゴリアス)は、多くの選手がビールを売った後に練習をした。ラグビーをすることが彼らの一番の楽しみで、ラグビー愛があった。でも今は違う。ラグビーが仕事になると、自由な時間があってもラグビーの話をしたがらない。結果、ラグビーをあまり学ばなくなった。日本の選手に必要なことの一つは、ラグビー愛を取り戻せる環境を作ることです」 早速、ジョーンズHCは福岡合宿の夜、選手たち全員と焼き肉屋に行き、ラグビーについてトコトン話をしたという。 ’15年W杯で日本代表の主将をつとめた35歳のリーチ マイケル(東芝ブレイブルーパス東京)も今回、合宿に呼ばれ、大きな刺激を受けたようだ。 「エディーから『勝ちたい』という意欲が感じられた。日本代表に選ばれてまた一緒にやりたい。目指しているところは高いけど、選手として頑張って、もう一回、日本をガラッと変えたい!」 ジョーンズHCは最後にこう誓った。 「選手たちは’27年大会に向けてジェットコースターのスタート地点に立った。山もあれば谷もあります。今は12位ですが、ゴールでトップに立つことができれば、すごくいい気分になるでしょう」 様々なトライアルの中で、結果が出ずに落ち込むこともあるかもしれない。ただ、そこからもう一度、はい上がって登り切った頂点はきっと爽快だ。スリルあふれるジェットコースターのようなプロセスを、名将は9年前とは違った指導方法で選手とともに楽しみたいと思っている。 『FRIDAY』2024年3月15日号より 取材・文:斉藤健仁
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