脚本家・中園ミホさん流「挫折や苦難」の乗り越え方。人のために生きることが力に
●大きな挫折ほど、得るものがある
――年齢を重ねるにつれ、なにかをやることにおっくうになってしまう、やりがいを失ってしまう方もいらっしゃるかと思います。そういうときは、どう考えたらいいでしょう? 中園:脚本家でも、あまりにも視聴率がとれなかったりして、降ろされてしまうようなこともあります。でも、それだって何十年かの流れで見たら、あのときあそこで降ろされてよかったって思うことが多いです。少なくとも私は、振り返ると必ずそうなっています。大きな挫折ほど、じつはその後、得るものがちゃんとありました。 そのときはもちろん、「もうおしまいだ…」なんて、思うけれど、失えば必ずなにかが入ってくる、空いたスペースに必ずなにか入るはずだって、根拠のない自信を持ってやってこられたというのはあると思います。
●人には越えられない不幸は降りかからない
――ESSEonlineの読者たちは、自分だけでなく、家族の挫折や不調と向き合うことも多いです。どんなふうに対処するのがいいでしょう? 中園:家族の挫折や人に降りかかる不幸というのは、全部が意味のあることだと思うんです。子どもの失敗だったら、それはその子が成長するために必ず必要なことなんだと思うんですね。それに、人には乗り越えられない不幸は降りかかりません。 だから、「これには必ず意味があるはず」、まずはそうお母さんに思ってほしい。一緒になって落ち込んでいたら、きっと子どもはもっとつらいだろうし、逆に励ましの言葉も最初は受け入れるのは無理です。 とくに、心のやわらかいときの失敗はつらいと思うけれど、やわらかいからこそ早く立ち直れるだろうし、やっぱり失敗を乗り越えることって、心がやわらかくしなやかなときにたくさんしておいた方がいいと思うんですよね。 とはいえ、子どもはお先真っ暗な気持ちになってしまっているでしょうから、お母さんがまず落ち着いて、ゆったりと見守ってあげてほしいなと思います。 ――不登校など、親としてはとても心配になってしまいますが、見守ることなのでしょうか? 中園:私もじつは不登校だったんです。朝起きるたびに、「なんで学校行くんだろう?」なんて思っていました。けれど、それってすごく自然なことでもあるので、親がまずうろたえないことです。 今は、ちゃんとカウンセラーもいるし、フリースクールとかもあるから頼りにすればいいし、とにかく親が動揺するのがいちばん子どもにとってはつらいと思います。毎日、「今日もあの子、行かないのね」とか、そういう風にビクビク機嫌を取り合って、神経すり減らしていたら、もうその家の空気自体が淀んでしまいます。そういうときこそ、その子が機嫌よく過ごせるようにして、できれば、今日は公園行こうかとか、自然の中に行くといいと思います。