ビヨンセ史上最高のツアーは、ビヨンセによる“ファッションのルネッサンス”。『Renaissance: A Film by Beyonce』の衣装に込められた意味を紐解く
2023年5月のスウェーデン・ストックホルム公演から始まった、音楽界の女王蜂(クイーンB)ことビヨンセのワールドツアー「ルネッサンス」。スケジュールにジャパンがなかったことで、日本の“ビーハイブ“(蜂の巣をもじったファンのあだ名)を悲しませ、ソーシャルメディアで追うことしかできなかった本ツアーだが、ドキュメンタリー映画『Renaissance: A Film by Beyonce』として生まれ変わり、ついに日本でも上映中だ。 【写真を見る】ルイ・ヴィトンにロエベにヴァレンティノ…ビヨンセのきらびやかな衣装をたっぷり紹介! 本作そしてツアーのタイトルにもある“ルネッサンス”は、通算7枚目のアルバム「ルネッサンス」から付けられたものだが、たんにアルバム名を冠した以上の意味をもっている。彼女いわく、それはReborn(再生・復活)で、新しく生まれ変わることであるという。その真意やツアーへの想い、苦悩や生々しい舞台裏は、ビヨンセ自身が監督として本作を製作しているからぜひ劇場で観てもらうとして、もう一つ彼女が復興したものに“ファッション”がある。どうしてこれが、ビヨンセによるファッションのルネッサンスなのか。それを紐解く彼女の哲学は、曲の中にきちんと込められていた。 ■「Pure/Honey」:煌めくシルバーに隠された想い ツアー全体の収益だけでも5億ドル(約750億円)を越え、世界的な影響を及ぼしたと言われる本ツアー。そう言われる理由は、たんなるコンサート巡業の枠を超えているからだ。今年の秋、ニューヨークタイムズ紙は、“「ルネッサンス」のおかげでファッションECサイト「Etsy」などの中小企業が、シルバーカラーのアパレルの売り上げを増大させている”と報道した。それもそのはず、アルバム9番目の曲「Virgo‘s Groove」にちなんで、自分の星座である乙女座シーズン(8月23日から9月22日)には、“あなたが思う最もすばらしいシルバーのファッションで一緒にお祝いしたいの。誕生日のお願い!”とビヨンセが投稿したから。自分たちが、ディスコのミラーボールになって、一緒に踊り、喜びを反射させ合いましょう、というわけだ。 ファッション業界紙「Women’s Wear Daily(WWD)」も、“ビヨンセがツアーで着用!というニュースが、ブランドに多大な影響を与えている”という記事を紹介。テーマモチーフの馬をあしらったボディスーツなどを複数提供した「アレキサンダー・マックイーン」に770万ドル、コーディネートの主役級ジュエリーを提供した「ティファニー&Co.」に720万ドル、バービーピンクなドレスとシルバーのボールガウンなど、今年の2大トレンド(バービーコアとシルバーアイテム)スタイルを提供した「ヴァレンティノ」に370万ドルの、“メディア経済効果“をもたらしたという。 アルバムカバーや本作のキービジュアルのとおり、シルバーはすでに「ルネッサンス」のテーマカラーで、ディスコのミラーボールや近未来なロボットを表現する意味もあるのだが、もっと深いメッセージを含んでいる。それが、アルバム15番目の「Pure/Honey」に参加している、伝説的なナレーター、ケビン・JZ・プロディジーの起用からわかる。言葉を紡ぐアーティストであるケビンとビヨンセは、ルネッサンスにおいて、ボールルーム・カルチャーをオマージュしているのだ。「ボールルーム」とは、LGBTコミュニティの中であった人種的な差別に直面していたブラックとラティーノたちが、1980年代にニューヨークで始めたアンダーグラウンド・ムーブメントを指す。 その後、それぞれの主催グループは「ハウス(家)」と呼ばれ、各ハウスがクラブで行うヴォーギングなどのダンスやパフォーマンスが話題になるにつれて、全米に広まっていった。このコミュニティが、LGBTQIA+と包括的になるずっと前から、トランスジェンダーやドラァグクイーンたちが自己を自由に表現できた場所。ボールルームが、人種やジェンダー、性的趣向にかかわらず、迫害を心配せずに安心できるところ、いつでも帰ることのできるところを象徴しているから、ビヨンセはルネッサンスをそういう居場所にしたかった。だから、シルバーファッションをリクエストしたのだ。 ■「Summer Renaissance」:時空を超えて、ビヨンセのために再生されるファッション 今回のツアーで、ビヨンセが披露した舞台衣装は計148着。世界中から様々なブランドとデザイナーが参加し、英ガーディアン紙のファッション・エディターは、もはやこれは「デザイナーにとっての新しいキャットウォーク」と評した。いずれのコスチュームも、ビヨンセそしてツアーのために、特別に仕立て直されていて、そのいくつかのオリジナルの中には、ランウェイで発表されたものもある。 最もバズったルックの一つが、ジョナサン・アンダーソンによる「ロエベ」の“ハンズオン”ボディスーツ。同ブランドの2022年秋コレクションのもので、オリジナルはドレス(スカート)だった。どうやら、ビヨンセはこのルックが最もお気に入りだったよう。なぜなら、デザイン違いの衣装を複数提供したブランドはいくつもあるけれど、同じデザインを色違いで3つもそろえたルックはこれ以外にないし、ツアーを印象付ける大事な初日のストックホルム公演や、生まれ故郷で開催された米テキサス州ヒューストン公演、そして崇拝してやまないと公言しているダイアナ・ロスがサプライズゲストとして来場した誕生日(9月4日)に着用したからだ。 1945年に設立されたフランスのクチュールブランド「バルマン」の伝統的なラグジュアリーさに、モダンさを与えて生まれ変わらせたのは、現在デザイナーとクリエイティブディレクターを務めるオリヴィエ・ルスタンだ。オリヴィエは今年3月、ビヨンセとともに製作した「クチュール・ルネッサンス」というコレクションを発表した。各ルックのインスピレーションは、アルバムに収録された楽曲たち。実際にコンサートで着用したのはウエストに付けられたダイナミックなコサージュが特徴のドット柄ドレスで、オリジナルは2024年春コレクションのもの。ラッパーのミーガン・ザ・スタリオンがパフォーマンスする、大切な出身地のヒューストン公演で着用したことから想像するに、ドラマティックな演出に欠かせないルックだったに違いない! 現在「ミュグレー」のクリエイティブディレクターを務めるケイシー・カドワラダーは、ビヨンセのために2つのルックを提供したそうだが、特筆すべきは、クイーンにふさわしい蜂のヘッドピースとマッチングカラーのコルセットルックだ。オリジナルは、創設者のティエリー・ミュグレーがデザインした1997年春のクチュールコレクション。2009年、ビヨンセの4番目のアルバムツアー、「I Am…World Tour」の際には、ティエリーは衣装提供だけでなく、振付や照明のアドバイスもしていた。翌年の2010年からブランドを離れていたティエリーは、2022年に亡くなったのだが、ティエリーとビヨンセが愛したグラマラスなミュグレーのスタイルは、カドワラダーによって、現在によみがえった。 2021年に「プッチ」のアーティスティックディレクターに就任したカミーユ・ミチェリが、プリントの王子と呼ばれた、ブランド創始者エミリオ・プッチのジャルディーノ(イタリア語で庭を意味するチェッカーボード柄)プリントを復刻させたのが、2023年秋コレクションでのこと。そのプリントは、ビヨンセ仕様になって、さらにポップにアップグレード。一目見てプッチとわかるデザインを後世に残していること、一度見たら忘れないインパクトを残すデザインを生み出すこと、そんなデザインに負けないビヨンセのどれもすごい。 さすがのコラボレーション!と大きく話題となったのが、「ルイ・ヴィトン」のルックだ。今年2月、新たなメンズ・クリエイティブディレクターに任命されたばかりのファレル・ウィリアムスが、ビヨンセと数曲のパフォーマンスにダンサーとして参加している娘のブルー・アイビー(とバックダンサー)のために、シグネチャーであるダミエ柄を、クリスタル刺繍のキャットスーツに落とし込んだ。オリジナルは、ファレル初の2024年春メンズウェアコレクションになるが、ダミエパターンは、2色の四角形が交互に並ぶ、1888年から採用されている同ブランドを代表するラインの一つだ。 アルバムの最後、16番目に収録されている「Summer Renaissance」は、ドナー・サマーの「I feel love」をコーラスに用いて、パンデミックを経たいま、セックスや結婚といったロマンティックな愛を含む、すべてのラブの力を思い出そうよ、という雄大な曲なのだが、その歌詞の中には、いくつかのファッションブランドが登場する。その中でも、ビヨンセが一段と深く愛を込めているのが、「テルファー」だ。 ニューヨーク市ブルックリン区にあるブッシュウィックエリア発祥のブランドで、一番大きなサイズのバッグでも300ドル以下とお手頃なのだが、セレブでも手に入れることができない人気ぶりと、ブッシュウィックのヒップな若者がこぞって持っていたことから、「ブッシュウィック・バーキン」と呼ばれ、広く知られるようになった。ブランドを立ち上げたのは、リベリア人の両親を持つ、クィア(性的マイノリティや既存のセクシュアルアイデンティティのカテゴリーに当てはまらない人の総称)のデザイナー、テルファー・クレメント。 ビヨンセは、BIPOC(黒人、先住民や有色人種)が所有するビジネスやブランドのサポートを公言していて、ルネッサンスで彼女が纏うファッションは、ステージ上での機動性や迫力、ビジネスの規模の大きさや知名度だけで決められているのではなくて、なんとも愛のある、深い意味があることがわかる。 ■「Heated」:自分らしく生きること、それが本当の自由 「ルネッサンス」に込められた要素はたくさんあるけれど、それらを丁寧に追ってみると、ビヨンセのルーツ、そしてファミリーにたどり着く。父親マシューがデスティニー・チャイルドのマネージャーをしていたことや、母親ティナが専属スタイリストとして衣装デザインを担当していたことは有名だ。排他的だった音楽業界やファッション界において、無名のブラック(グループ)をサポートしてくれる人やブランドがおらず、ビヨンセの才能を信じて家族で一致団結する以外に方法がなかったのだ。そのファミリーの中で、最も重要な一員がジョニーおじさんだ。母ティナと幼少期を共に過ごし、本人だけでなく、ビヨンセと妹ソランジュの育児を手伝ってくれたことや、ビヨンセのプロム(卒業パーティー)でドレスを作ってくれたこと、デザインやファッションのセンスはすべて彼から学んだと、とあるインタビューでティナ自身が明かしている。アルバム11番目の曲「Heated」では、“ジョニーおじさんが服をつくってくれたの”と謳い、曲の中に登場するだけでなく、アルバム「ルネッサンス」自体が、エイズの合併症で亡くなったジョニーおじさんに捧げるものだという。ルネッサンスのファッションを通じて表現しているのは、おじさんへの壮大な恩返しなのだろう。 ツアーでは、2018年から運営を行っている自身のアスレジャーブランド、「アイビーパーク」が多用されている。アイビーについては、長女に名付けるほど意味のあるものだが、そのエピソードはここで割愛するとして、パークについては、自分がありのままでいられる場所、ゴールやモチベーションになるところを指す“パーク”を見つけて見つめてほしい、という願いを込めているそうだ。自分が自分らしくいられる、自分らしく生きることを表現する方法、それがビヨンセとファミリーにとって、ファッションなのだ。 ポストパンデミックのいま、会場で彼女の生の声を聞くなどリアルな体験は何事にも代えがたいが、本作はツアーに参加した人でも楽しめるすばらしい作品となっている。細かなファッションのディテールや、公演ごとに異なった豪華なコスチュームを、スクリーンではまとめて堪能できるところが見どころだ。ビヨンセ史上ならぬアーティスト史上最高との呼び声の高い、彼女の集大成でもあるツアーながら、彼女は自由になるために再び生まれ変わり、私たちが目撃するのは、彼女の伝説の、新しい始まりなのだ。 文/八木橋恵