【高校野球】桐蔭学園・石野嶺 新基準バットで圧巻の一発 名門を渡り歩いた父のDNAを受け継ぐ
「技術指導員」として後輩を指導する父
両翼95メートルあるサーティーフォー保土ヶ谷球場の右翼フェンスを越えていった。桐蔭学園高の二番・石野嶺(3年)が、湘南工大付高との2回戦(4月6日)の1回表に先制ソロアーチを放った。第2打席では逆方向に、技ありの左二塁打。遊撃守備でも軽快な動きを見せ、初戦突破(10対2)に貢献した。 左投手から、しかも、飛ばないとされる新基準の金属バットでの一発は価値も高まる。「新基準のバットでは(練習試合を通じて)4本目。スライダーを、うまく拾うことができました」。一塁側の応援席で高校通算10号を見届けた父・豊さんは目を細めた。 「従来の金属バットよりも、新基準のほうがむしろ合うようです。力では、打てない。正しいフォームであれば、飛ぶ。軸回転、タイミングしか言っていません。(左対左の)左投手から打ったのは、評価できます。もともと苦にはしていませんが、私が左投げであり、左で育ててきていますからね(苦笑)」 専門的な視点で語るのも、当然である。豊さんは桐蔭学園高の左投げ左打ちの外野手として、1995年春のセンバツ甲子園出場。法大を経て、日石三菱、新日本石油(現ENEOS)で5年プレーし、都市対抗に2回出場。名門を渡り歩いてきたDNAは息子に継がれた。 石野は小学校2年に新城ドルフィンズで野球を始めた。「最初から左打ちでしたね。投げるのは、ポジションが限られるので、右にしてほしいな、とは思っていましたが……。強制はしていないです」(豊さん)。中学時代は青葉緑東シニアに在籍し、2、3年時に全国大会出場。高校進学に際しては父が袖を通した「TOIN」のユニフォームにあこがれ、桐蔭学園高に進学した。 「私と一緒で(苦笑)闘志を内に秘めるタイプ。派手さはありません。守りからコツコツと積み上げ、フィジカル強化に伴い、打撃も上がってきました」(豊さん) 同校野球部OB会からの要請を受け、昨秋の新チームからは「技術指導員」として、後輩たちを指導している。 「(保護者として)週末、練習や練習試合に足を運んでスタンドで見ているだけならば、グラウンドに立ってください、という流れになりました」