レスラーは天職だった 「虎ハンター」小林邦昭さんを追悼 あなたの勇姿と優しい笑顔を忘れません
【柴田惣一のプロレス現在過去未来】
「虎ハンター」小林邦昭さんが亡くなった。68歳だった。 昨年12月29日、東京・文京区での忘年会でお会いした。「お元気そうですね」と声をかけると「うん、まあそうだね」とほほえんだ。いささか曖昧な返答だった。宴もたけなわの中、いつの間にか中座されていた。「体がアルコールを受け付けないんだよね」と普段からお酒を飲まない人だったが、その横顔にざわざわする違和感を覚えたことを思い出す。 【動画】獣神サンダー・ライガー名試合ダイジェスト~1989.4.24 獣神ライガーvs小林邦昭~ 1972年に新日本プロレス入り。メキシコ遠征から帰国した1982年、初代タイガーマスク(佐山聡)と激しい攻防を繰り広げ「虎ハンター」と異名を取った。地上波ゴールデンタイムで放送され「一晩で変わった。街中で次から次へと声を掛けられるようになった。放送の翌日、渋谷に行ったらもみくちゃで歩けなかった」と本人が驚くほど人気を呼んだ。 84年には全日本マットに登場し二代目タイガーマスク(三沢光晴)と抗争。87年に新日本へUターンし、ヘビー級転向後は平成維震軍で活躍した。2000年に引退後は、新日本道場でコーチや管理人を務めた。きれい好きで料理の腕も確か。ちゃんこ鍋は絶品だった。故郷の長野県から送られてきた野沢菜を切る包丁さばきも手際が良く、ほれぼれするほどだった。 ブルース・リーに憧れて当時はまだまだ珍しかったパンタロンを着用した。「俺が最初だよ」と胸を張っていた。 ガンとの度重なる闘いに挑んだ。お腹には「T」の字を逆さにした大きな傷跡が刻まれた。引退試合ではそれを隠すためにタンクトップを着ていたが「本当は上半身裸でリングに上がりたかった。お客さんに見せられる体をつくったのに」と残念そうだった。 温厚な人柄で人脈が広かった。相手の好みをわきまえ「イタリアンの人」「パンの人」「カラオケの人」「日帰り温泉の人」と出かける先を選んでいた。 お茶目な人でもあった。「これ100円均一で買ったんだけど、いくらかわかる?」「100円ですよね」「何でわかるの」とにっこり。 リングを離れれば佐山と仲良しだった。故・青柳政司館長とも親交が深かった。「二人に出会ったのは一生の宝。ライバルがいたから成長できた」と感謝していた。 プロレスラーは天職だった。アメリカでは英語で苦労し、メキシコでは水が合わずお腹を壊した。苦労もあったが「みんないい経験。楽しかった。普通のサラリーマンでは体験できないこともたくさんあった。レスラーになって本当に良かった。いい人生だな」としみじみ。その顔は満足そうだった。道場で練習してから入院するなど、引退しても生涯、プロレスラーだった。 入院していた時、お見舞いに来た猪木が「元気ですかー!?」と入ってきたことを「俺、元気じゃないから病院にいるんだけどね」と嬉しそうに振り返っていた。 空の上にもリングはあるのだろうか。そこで待っている猪木さん、青柳館長と楽しく語り合うのでしょうね。 虎ハンターのあなたの勇姿と優しい笑顔は忘れません。どうぞ安らかに。合掌。(文中敬称略) 〈写真提供:柴田惣一〉
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