なぜソ連は沈み、中国は成長を遂げたのか?…「日本のコンビニ弁当」を事例に考察【経済評論家が解説】
いつでも気軽にほしい商品が買えるコンビニ、とても助かりますよね。しかしコンビニは、経営者の優しさや親切心によって運営されているわけではなく、「少しでも多く収益を上げる」というシビアな目標のもとに運営されています。コンビニという身近な存在から、資本主義、共産主義について考察してみましょう。経済評論家の塚崎公義氏が解説します。 年金に頼らず「夫婦で100歳まで生きる」ための貯蓄額
コンビニの棚に、いつも弁当が並んでいるのはなぜ?
筆者が空腹になったら、コンビニに行って好きな弁当を選び、買うことができます。しかし弁当は、筆者がお金を持っているだけでは手に入りません。そこにコンビニがあり、その棚に弁当が並んでいなければ買えないのです。 では、街角のあちこちに蛍光灯のともったコンビニがあり、そこにいつも弁当が準備されているのは、空腹の人々を気遣う、コンビニ経営者・店長たちの優しさなのでしょうか? いいえ、そうではありませんよね。 コンビニに弁当が並んでいるのは、コンビニの人々が〈欲張り〉だからです。「ここに店を作れば客が大勢来て儲かるだろう」と社長が考え、「売り切れを出さないよう、すぐに補充しよう」と店長が考えるから、そこに弁当が存在するのです。 そして社長や店長は「店が儲かれば、自分の給料が増えるだろう(あるいは、解雇されるリスクが減るだろう)」と考えるから、必死に働くのです。 もし社長が欲張りでなければ「ここに店を作れば儲かるだろうが、面倒だからやめておこう」と考えたでしょうし、店長が欲張りでなかったら「弁当が売り切れているから、仕入れれば儲かるだろうが、面倒だからやめておこう」と考えたでしょう。 つまり、筆者がコンビニ弁当にありつけるのは、コンビニの人々が欲張りだから、つまり、「頑張って働いて豊かになろう」と考えているからなのです。
共産主義は、人々の「欲張りな気持ち」を否定したから失敗した
かつて、ソ連という国がありました。革命によって成立し、共産主義を掲げていたのですが、経済がうまく行かず、共産主義をあきらめた国です。 彼らの理想は、貧富の格差のない国でした。聞こえはいいのですが、全員の給料が同じなわけですから、真面目に働く人は減り、サボる人が増えることになります。結局、皆が等しく貧しい国になってしまったわけです。 中国も、革命当初は貧富の格差のない国を目指していましたが、鄧小平氏が「貧富の格差」を容認したことで、経済が大いに発展しました。最近の習近平政権は「共同富裕」といったスローガンを掲げて平等を重視しているようなので、中国経済の高成長に変化が生じる可能性もあり、要注目です。 貧富の格差という言葉には否定的な語感がありますが、「適度な格差は必要だ」ということなのです。格差がなければ「頑張って働いて金持ちになろう」という人々の意欲が失われ、経済がうまく行かないのです。 もちろん、過度な格差は問題です。貧しくて教育が受けられなかったがゆえに、給料の安い仕事にしか就けなかった…という人が大勢いるような経済は望ましくありません。日本は、義務教育が無償で、高校の無償化も検討されているようですから、それほど心配は要らないかもしれませんが。 なお、「宝くじに当たったから裕福」「金持ちの家に生まれたから裕福」という人がいても、人々の働く意欲は増しません。「頑張って働けば豊かになれる」という状況が必要なのです。そこで筆者は、相続税の増税を主張しているのです。