脳卒中の祖母を見舞う──絶望から自身を救うために作った個人的なゲーム【ソーシキ博士】
アニメーション作家であり、海外インディーゲームにも造詣の深いソーシキ博士の初めての著書として注目の1冊より「祖母を見舞う」について一部抜粋・再構成してお届けする。
脳卒中で倒れた祖母がいるホスピスへ
広い青空、遠くに見える山々。他には何もない道を車は真っすぐに走っていく。車内で母が娘に言う。 「初めて会った時の衝撃は大きいかもね。私も今でも毎日、行くと泣いてしまうの。でも二日前には水を飲んだのよ。だからまだ希望は捨ててない。あなたが遊びに来るといつも彼女は元気になったから、あなたの声を聞いたら、目を覚ましてくれる様な気がする。彼女はあなたの事をとても愛しているから」 向かう先はホスピス。そこに突然の脳卒中で倒れた祖母がいる。ゲームは冒頭から深刻な様相で幕を開ける。これは作者のMIKO CHARBONNEAUが2017年の夏に経験した実話が元になっている。 病室に入ると横たわる祖母が見える。祖母に軽く挨拶の言葉を投げた母に促されてベッドの横に座る。そこで一度、祖母に話しかけるか、ベッドから離れるか、という二つの選択肢が画面に表示される。祖母は口を開けたまま目を閉じ、ただ眠っているようにも見えるが鼻には呼吸用のチューブが挿入されている。話しかける、を選ぶ。 「はーい、おばあちゃん。おばあちゃんの誕生日はもうすぐだよね。えーと、96歳になるのかな? すごいよ! 誕生日には一緒に食事に行こうね。いい? みんなでお寿司を食べよう。ねえ、それは素敵な事だと思わない?」 努めて明るく話しかけるが祖母からの応答はない。病室には目を閉じたままの彼女の深い呼吸の音だけがゆっくりと響いている。 「脳卒中のあとはパズルをたくさん解いた方が良いって本で読んだよ。数独の本を持ってこようか? でも前みたいにズルして書いてある数字を変えちゃダメだからね。そんな事したらリハビリにならないんだから」 「先生は目を開けたら帰れると言ってたよ。難しいかもしれないけど、やってみたら? ほんの少しでもいいからさ。目を開けてみてよ」 一つの会話を終えるごとに、画面には同じ選択肢が表示される。話を続けるか、それともベッドから離れるか。どんなに話しかけても祖母からはなんの反応もないが、ここで切り上げたらひょっとしたらそれが最後になるかもしれないという想いがよぎる。会話を続けている間だけ、その判断を引き延ばすことができるのだ。 初めて自転車に乗る時に付き添ってくれたこと。初めて金魚を買って水槽に移そうと思ったら金魚が落ちてしまい、でもすぐにおばあちゃんがスプーンですくって水槽に戻してくれたこと。最近もステーキハウスに行ったんでしょ? 前もすごくたくさん食べたもんね。来週にはひ孫達も来てくれるみたい。みんなに会えるのは嬉しいよね。今の状態はかなり悪いけど、前の手術の時も誰もが無理だって言ったのにおばあちゃんは目を覚まして元気になったもんね。だからこんなの受け入れられないよ。また目を覚ますと思ってるよ。そうだよね? ママがお水を口につけるから、飲み込んでみて。できるよね? 犬もあなたに会いたがってるよ。あなたがおやつをあげないから、3キロも痩せてしまったみたいだよ。そうだ、コアラのぬいぐるみを持って来たんだ、と言って祖母の手に握らせる。私はここにいるよ。あなたを愛してる。えっと、さっき話したかもしれないけど、初めて自転車に乗るときに付き添ってくれたこと、覚えてる?── 話題は段々と尽きていき、同じ話を繰り返すことしかできなくなっていく。会話をやめ、ただ祖母を見つめている間にも、ベッドから離れるか、まだ話を続けるかの選択肢が表示され続けている。もう十分に話せただろうか。これが最後かもしれないのに、十分なんてあるのだろうか。希望の言葉を並べながらも、主人公はホスピスがどういう場所なのかもわかっている。作者はゲームの説明文にこのように書き記している。 2017年の夏、私の祖母は突然、脳卒中を患いました。私はこうした精神的な苦痛が発生した後の不確かで困難な時間に対処しなければなりませんでした。私はすぐに、感情的に生き延びるためには、自分の気持ちを外に向けて発信する方法を見つけなければならないと思いました。毎日ホスピスに通い、祖母に慰めや励ましになるような話をして、無限のループに陥り、勝利の回復が待っているのか、最後の別れが待っているのかわからない……私はその時期このような気持ちでいたのです。 作者のこの気持ちは、私にも良くわかる。数年前、私も実家にいる間一緒に住んでいた大好きな祖母の見舞いに通い詰めていた。認知症だった祖母はいつしか私のことを忘れてしまい、言葉を話さなくなり、手を握っても握り返すことが無くなり、眠っている時間が段々と長くなっていった。ホスピスでは無かったが、祖母の精気が日に日に小さくなっていくのを見ながら、それでも会って顔を見られれば嬉しく、だからこそどこかで切り上げて帰らなければいけないのは毎回苦く、鈍痛のような覚悟の伴うものだった。
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