「よく打つことはチームを助けること」好打に個性的なヒゲも光った(?)虎の左腕ムーア【愛すべき助っ人たち】
星野仙一監督の就任とともに
時代が平成となり、20世紀の最終盤から外国人選手が急増。数字を残すことは当然ながら、人数が増えたことで、たとえ外見上のインパクトだけでも、ファンの印象に残ることも助っ人たちに求められるようになったのかもしれない。個性的なヒゲが強く記憶に刻み込まれているのが、阪神のトレイ・ムーアだ。 【選手データ】トレイ・ムーア プロフィール・通算成績 ムーアは中日の指揮を執っていた星野仙一監督が就任して1年目の2002年に入団した左腕。“同期”で右腕のマーク・バルデスもヒゲの選手だったが、ひとまずヒゲの個性ではムーアが圧倒していたように思える。見れば一目瞭然なのだが、文字で表現しようとすれば無粋になりそうなヒゲ。長さや濃さ、多さなどの“量的”な部分でインパクトを残した助っ人は少なくなかったが、ムーアのように“質的”な面で印象的な助っ人は少数派だ。 ヒゲだけではない。右腕のバルデスがリリーバーとして42試合に登板、22セーブを残した一方で、ムーアはスターターとして来日1年目から27試合の登板で2ケタ10勝、リーグ9位の防御率3.33をマークして、しっかり数字も残している。翌03年は阪神18年ぶりのVイヤー。規定投球回には届かなかったものの、ムーアは2年連続10勝でリーグ優勝に貢献している。 好打が光ったのもムーアの持ち味だった。来日1年目の02年にはシーズン2度のゲーム3安打。奇しくも阪神が日本一に輝いた1985年の川口和久(広島)以来の快挙で、最後は9回表一死、一般的には代打が送られるような場面で打席に入り、しっかりと中前打を放って、そこであらためて代走を送られている。星野監督は「バテた、と言ってきたから、打席だけ立てと言ったんや」と振り返り、ムーアは「よく打つことはチームを助けることだヨ」と笑顔。マウンドで降板を告げられたときに怒るのは投手、特に助っ人の投手には見られがちだが、交代すると打席に立てなくなる、ということで怒ってしまうほど打撃が好きな助っ人だった。 ムーアは04年にオリックスへ移籍。指名打者制のパ・リーグで打撃のチャンスを失い、投げても6勝にとどまって、そのオフに退団、帰国している。3年間で通算26勝だが、これは助っ人の左腕では歴代6位だ。 写真=BBM
週刊ベースボール