3%割引、チラシ廃止…人気スーパー「オーケー」創業者・飯田勧会長(96)死去 型破りな取り組みで“顧客満足度”1位
ディスカウントスーパー「オーケー」の創業者・飯田勧会長(96)が死去したことが明らかになった。 飯田会長は、熾烈な競争が続くスーパー業界で“業界の風雲児”として知られ、数々の戦略で「オーケー」を人気スーパーに成長させた人物だった。 【画像】「とにかくお客様に損をさせたくない」掲げた強い思い
業界の常識破る「特売の廃止」のアイデア
経営方針である「高品質・Everyday Low Price」が支持され、2023年には東京・銀座への出店が話題となった「オーケー」。 2024年11月以降には、関西進出も予定されている。 その創業者である、飯田勧会長が、4月2日、肺炎で亡くなっていたことが明らかになった。 数々の戦略を他社に先駆け行ってきた、“業界の風雲児”の飯田会長。 最大の特徴は「業界の定石破り」だった。 1958年に創業したオーケーは、飯田会長の実家が営む酒問屋の小売り部門として、東京・上板橋で1号店を開業。 飯田会長は、開業に至った経緯をこう記している。 飯田会長: 雑誌に「アメリカではスーパーマーケットが花盛り」という記事を見て、「これなら現金商売で、売掛回収の苦労が無いなぁ」と思いまして始めることにしました。 飯田会長は創業から9年後に「オーケー株式会社」として独立し、社長に就任。 その後打ち出したのが、特売の廃止だ。 一定期間だけ安売りする特売ではなく、通常の販売価格自体を、競合店の特売価格に負けないように引き下げるという、業界の常識を破る戦略だった。 商品の質を下げることなく安値に挑戦するために、飯田会長が始めたのが数々の改革。 現在では当たり前となった買い物袋の有料化は、オーケーでは1989年に実施された。 現在の二宮涼太郎社長は、当時の利用者の反応をこう話す。 オーケー株式会社・二宮涼太郎社長: 当時としては、すごく型破りな取り組みでしたね。でもオーケーのお客様は「オーケーがコストを削減した分、商品の値段は安くなるのね」ということで、本当にすぐ定着したという取り組みでしたね。