<高校時代の恩師が語る>「カープでもっと鍛えてもらえると感じた」育英高野球部監督・安田聖寛が語る、教え子・矢野雅哉への期待
育英高時代のカープ矢野雅哉を指導したのが、同校出身の安田聖寛監督だ。自身も内野手として長く活躍した安田監督は、入学当初から矢野の守備力を高く評価していた。「上手くなりたい」という向上心を胸に成長を遂げ、プロの世界へ羽ばたいた矢野。彼を見守り続ける恩師が、高校卒業後も見守り続けた矢野への思いを語る。(全2回・第2回) 【写真】若手選手が生活する大野寮で、長年寮長を務める道原裕幸さん ◆大学での活躍も常に気になっていた。 高校卒業後の矢野の活躍も、常にチェックしていました。亜細亜大では比較的早い段階でベンチに入れていただきましたが、個人的には「矢野は大学で、どのような立ち位置になるのだろう」という思いが強くありました。矢野の守備力であれば、頑張れば25名のベンチ入りすることはできるだろうとは思っていましたが、そこから先、例えば4年間守備固めで終わってしまうのか、どうか。どこまで這い上がるのかというのは、本当に楽しみでした。 亜細亜大でさらに技術を磨き、カープに指名をしていただくことになるのですが、矢野から入団の連絡をもらったときは、うれしかったですね。 とにかく高校時代から体は強くて、ケガをした記憶もない選手でしたから、12球団いちの練習量を誇るというカープであれば、もっともっと鍛えてもらえるのではないかと感じました。矢野はプロ入り後もまめに連絡をくれるので、今でも折にふれて連絡を取り合っています。初めて一軍ベンチに入ったとき、初ヒットを打ったとき、そうした節目節目にも連絡をくれました。毎年練習納めの12月末には、グラウンドにも来てくれているんですよ。 今年は一軍で出場する機会も増えてきていますが、やはり矢野の『守備』は、プロの世界でも大きな武器になっているのだと思います。打席での粘りなど、そういった部分も評価していただいているのではないでしょうか。そして、同じ関西出身の小園海斗選手が所属しているというのも、矢野にとっては刺激になっているはずです。 報徳学園高とは高校時代の公式戦で何度か対戦した経験がありますが、いつも「小園くんにやられてしまった」というイメージがあります。そんな小園選手と同じショートのポジションですからどうなることかと思っていましたが、今はその小園選手からポジションを奪っているのですから、私自身も信じられない思いでいます。きっと大学、そしてプロに入って、想像を絶する努力と練習を重ねたのでしょう。 実は、カープの田村恵スカウトと山根雅仁編成部長とは、高校時代にジャパンのチームで一緒にプレーをしたことがあるんです。そうした縁もあり、矢野のカープ入団が決まったあとには田村スカウトから連絡をもらいました。 矢野には、目に見える、見えないに関係なく、そうやって周りで支えてくださっている方々に感謝をしながら、ファンのみなさんに喜んでもらえるように、がむしゃらに頑張ってほしいと思っています。 安田聖寛 (やすだまさひろ) 1976年2月12日生、兵庫県出身。育英高ー明治大ーデュプロ 自身も育英高野球部出身であり、3年時の1993年には夏の甲子園で優勝を果たした。同年記録した『一大会10四死球』は、夏の甲子園の最多四死球のタイ記録となっている。2006年から日本経大の監督に就任し、福岡第一高を経て2012年から育英高野球部監督を務めている。
広島アスリートマガジン編集部