【Playback箱根駅伝】第23回/敗戦の荒廃から復活開催 戦後第1回は明大に凱歌
2024年に箱根駅伝は第100回大会を迎える。記念すべき100回に向けて、これまでの歴史を改めて振り返る『Playback箱根駅伝』を企画。第1回大会から第99回大会まで、大会の様子を刻んでいく。(所属などは当時のもの) 第23回箱根駅伝総合成績をチェック
第23回(1947年/昭和22年) 早大は1、2区連続区間賞も後が続かず 砲丸投選手起用の中大が2位と健闘
「戦勝祈願」の名のもとに行われた1943年の第22回大会を最後に中断した大会が復活したのは4年後の1947年だった。米国により占領下のため、大会を開催するには連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の承認が必要で、関東学連幹部は道路使用許可などを求めてGHQと交渉を重ねた。 前年の12月1日には、現在の予選会の前身となる第1回関東大学高専10マイルが開かれたが、本戦には参加を希望した10校すべてが出場できた。この大会で神奈川師範(現・横浜国大)と、後に東京文理科大と統合され東京教育大となる東京体育専門が初出場を果たしている。 有楽町にあった当時の読売新聞社前(現在の読売会館)をスタートしたレースは早大が先行。1区の後藤秀夫、2区の浜部憲一が連続区間賞を獲得して、2位の東京文理科大に9分近い差をつけた。 3区まで早大が首位をキープしたが、4区では6分37秒差の3位でスタートした明大の沢栗正夫が区間賞の快走で首位を奪う。5区の岡正康も区間3位でまとめた明大が往路優勝。5区の末永包徳が区間賞の走りで追い上げた中大が2分4秒差の2位で続いた。 復路では中大が明大を追いかける展開。明大は7区の牧野博が区間トップの快走でリードを5分19秒差に広げたが、8区では中大の高麗雄三が区間2位の走りで追い上げ、1分38秒差まで差を詰めた。 9区で2分18秒差に開いたが、中大は10区の平井文夫があきらめずに前を追う。明大は最後まで中大の追撃を受けたが、アンカーの田中久夫が逃げ切って明大が6回目の総合優勝を果たした。2位は57秒差で中大、3位には復路優勝の慶大が入った。 戦後間もない中で選手不足に悩むチームがほとんどで、中大は1区に砲丸投の村上利明を起用。体重85kgと巨漢だったという村上はこの年の日本インカレの砲丸投で優勝を飾っている。また、東京文理科大もハードルが専門の山本邦夫が出場し、2区区間3位と快走している。 参考文献:箱根駅伝90回記念誌(関東学生連盟)
月陸編集部