【社説】水俣病確認68年 救済拡大は国と県の責務
熊本県・不知火海(八代海)沿岸の異変はまず、動物に現れた。 強い毒性を持つ有機水銀に汚染された魚や貝を食べた猫、犬などである。1950年代半ば、敗戦からの復興を目指す日本が高度経済成長期に差しかかる頃だった。 「みょうなことばい。ネコが海にとびこんで自殺するとばい。このごろは、よくみょうなことがおこるとばい」と人びとは話しました。(略)なにかとんでもない悪いことがおこりそうな予感を、人びとは感じはじめていました。 (原田正純著「水俣の赤い海」) 56年5月1日、同県水俣市の漁村に住む幼い姉妹らが、普通にしゃべれなくなったり、手足が動かなくなったりする原因不明の病になり、保健所に報告された。水俣病の公式確認である。同年末までに患者数は50人を超え、うち17人が死亡していた。
■「二重基準」の解消を
公式確認から68年を迎えたきょう、犠牲者慰霊式に伊藤信太郎環境相が出席する。「公害の原点」とされる水俣病の歴史において、行政が負わねばならない責任が二つある。肝に銘じ、被害者の全員救済を誓ってもらいたい。 第一に、原因企業チッソによる汚染廃水の垂れ流しを放置し、被害を拡大させた責任である。 ビニールなどの原料を製造したチッソ水俣工場は、32年から有機水銀を含む廃水を水俣湾に流していた。公式確認から3年後の59年には熊本大などの調査で、チッソ廃水が主因の疑いが濃厚になったものの、チッソが廃水を止め、国が水俣病をチッソ廃水原因の公害病と認定したのは68年だった。 2004年の水俣病関西訴訟最高裁判決は、1959年末の時点で直ちに規制権限を行使すべきだったとして国と県の責任を認定した。行政が見て見ぬふりをした背景に、現地の人たちの命よりも、経済を優先するゆがんだ考えがあったのは明らかだろう。 第二の責任は、国が救済の間口を狭めることに固執し、多くの被害者を切り捨ててきた点だ。そこには救済対象を被害の実態に合わせるのではなく、あくまで予算の枠内に抑え込みたいとの本音が透ける。本末転倒である。 国などを相手取り、今も1700人超が裁判闘争を続ける根底にあるのは、74年施行の公害健康被害補償法に基づく患者認定の厳しさだ。認定患者は熊本、鹿児島両県で2200人余りに過ぎない。 最高裁が2004年と13年に幅広い救済趣旨の判決を示しても、国は現行制度にこだわり続ける。行政と司法の「二重基準」の解消が急務である。 公健法の認定制度とは別に「最終解決」を掲げた水俣病被害者救済法(09年施行)を巡り、昨年秋以降、大阪、熊本、新潟地裁で法の不備を認める判決が相次いだ。 浮き彫りになったのは、公的救済から漏れた被害者が多数いる可能性の高さだ。国と国会に対し、誰一人取り残さない恒久的な救済制度づくりを改めて求める。