戦後79年 軍隊の日々…得意の漫画に残した“特攻兵の思い”を加藤清史郎が取材
加藤清史郎さん 「祐則さんが、お兄ちゃんの敵をうつというのを、妹の田所さんとしては…?」 田所恭子さん 「つらいですよね」
それから“軍人としての覚悟”が書かれるようになり、得意だったイラストは次第に減っていきました。そして、戦争が激化する中、家族に届いた一通の手紙。実家の上空を自ら操縦する飛行機で飛んだことが書かれていました。 両親宛ての手紙より 「ご両親様。私が穴のあくほど家を見つめていたのを、虫の知らせでもご存じはないですか」
両親宛ての手紙より 「私の気持ちは、感激はしばらくの間、決して消える事は出来ませんでした。生きて会えるかどうかわかりません。しかし、家の上空二千メートルの近くまで、私は帰りましたよ」 これが、祐則さんにとって“最後の帰郷”となりました。 田所恭子さん 「特攻隊に出る前、うちの上を飛んだんです。どんな気持ちで飛んだか」
そして、1945年3月21日、特攻隊で出撃。入隊からわずか2年半後のことでした。 田所恭子さん 「行きだけの油しか積んでいきませんので、絶対帰れない。どれだけ向こうの軍艦をやっつけたか、それもわからんけど」 加藤清史郎さん 「(もし祐則さんが)その後も過ごしていたとしたら」 田所恭子さん 「漫画家になっていると思います」
漫画や手紙を通して祐則さんは、戦争の悲惨さ、平和の尊さを、後世に伝え続けています。 加藤清史郎さん 「『私はこんな気持ちでいっぱいです』ということがたくさんあるので、どんな生活をなさっていたのか伝わってくる。80年近くがたっているが、今もなお」 田所恭子さん 「(祐則さんが)おったらなあと思いますね。本当に戦争だけはしてはいけません」 (8月14日放送『news zero』より)