アニメーション作家・山村浩二が監督するVR作品『耳に棲むもの』 原作・小川洋子とVRの親和性
アニメーション作家・山村浩二。これまでアカデミー賞の短編アニメーション部門にノミネートされた『頭山』(2002年)など数多くの作品を発表し、現在も制作を続けながら東京藝術大学大学院映像研究科アニメーション専攻教授としても教鞭を振るう、アニメーション業界における大家の一人だ。その山村が、『博士の愛した数式』や芥川賞受賞作『妊娠カレンダー』などで知られる作家・小川洋子の世界をVRで表現した作品を制作した。それが、2023年に制作された『耳に棲むもの』だ。 【画像】左から石丸健二氏、小川洋子氏、山村浩二氏 『耳に棲むもの』は昨年の完成より、オタワ国際アニメーションフェスティバルのVR部門でグランプリ、アヌシー国際アニメーションフェスティバルのVR部門にノミネートなど国内外の映画祭で高い評価を得てきた。一般向けにも、ひろしまアニメーションシーズン(8月14日から18日まで)やXRコミュニケーションハブ・NEUU(10月末まで)など、体験できる機会が増えてきている。 本インタビューでは山村と、企画・製作を担った講談社VRラボの代表取締役・石丸健二のおふたりに、制作のきっかけからこれまでの経緯、今後の展望を伺った。 なお、日本では長らくアニメーション作品について、作風に応じて「商業」や「アート」といった言い方がなされてきた。その一方で、英語では「アニメ」も「アート」の1ジャンルであるなど、あらゆる局面で英訳に悩まされる状況が続いている。そのため本稿では、山村のスタンスや作風も尊重して、表記を「アニメーション」で統一している。 ■「VRは良い意味でアニメーションと違っていた」 山村浩二と小川洋子の座組 --まずは本編の制作に至ったきっかけ、この座組が成立した経緯について教えてください。 石丸健二(以下、石丸):前段として、講談社VRラボについての説明になりますが、当社は講談社がスタートさせた「VRはまだ市場は小さいが、将来性があって面白いメディア」と見込んで、先んじてVR作品を制作するラボです。 簡単に言えば「まずは先行投資で良い作品を作れるスタジオを設立しよう」という何とも恵まれた環境のもとで毎年さまざまなVR作品を作っています。どんな作品にしようかとか、どんな人と作ろうかというのは、かなり自由に決めさせていただいているんです。 そんな折りに講談社から「この方はどうですか」と勧めていただいたのが、小川洋子さんでした。お名前は存じ上げていましたが、あらためて『小箱』と『密やかな結晶』を拝読したところ「この方はVRとの親和性の高い“VR脳”を持っている方だ!」と思ったんです。 それで、一度弊社にVR作品を体験しに来ませんかとお誘いしたらすぐに来てくださり、作品を体験してくださいました。そのままの勢いでVRオリジナル原案の執筆をお願いしたら、「VRは自分の世界観とバッチリ合うメディア」と快諾いただけて、大体4ヶ月くらいでプロットを仕上げてくださいました。本当にフットワークの軽い方だなと驚きました。 一方、山村さんとのつながりですが、元々前職で面識があったのと、作品もかなり拝見していたこともあって、小川さんのプロットを読んだときに直感的に「この作品の監督をできるのは山村さんしかいないんじゃないかな」と思ったので、すぐにお声がけしてみました。 僕の中ではイメージがピッタリで、他の方が思い浮かばなかったので何とかお願いできないかと思っていたんですけども、それでも山村さんといえば手描き(2D)のアニメーション作家として有名でかつこれまでCGで制作をされたことがないのも知っていました。さらにVRという最新のメディアとなった時に、お断りされるんじゃないかという不安も半分くらいはありましたね(笑)。 実際に蓋を開けてみたら、小川さんのプロットをものすごく気に入られて、すぐに快諾いただけました。まさか小川洋子×山村浩二という刺激的で強力な座組が成立するなんて、驚きと喜びの気持ちでいっぱいでした。 山村浩二(以下、山村):石丸さんからVRの演出ができないかというご相談をいただいて、講談社VRラボに直接お伺いして、VRについて色々と教えていただいたことが、最初のきっかけです。 正直、お話を頂くまでは、VR作品に特別な興味を持っていたことはなかったんです。『新千歳国際アニメーション映画祭』で審査員を務めさせていただいたことがあるくらいで、全く未知の分野でしたね。 なので、VR作品をそこまで見ているわけではなく、VRというメディアに対する答えを持ってもいませんでした。漠然と「ゲームに近いもの」という感覚もありましたが、このお話を頂いて、石丸さんから最近の話題作とか、こんな表現があるというのを色々と見せていただいたら、VRへの興味がどんどんと沸いてきて。 すでに小川さんのプロットもできていたので読ませて頂いたら、僕が想像したVRと全く異なったイメージが見えてきて。それは良い意味で違っていて、この内容だったら是非やらせてくださいと、すぐにお返事しました。ゲームや3D以外だけでなく、実写や演劇やドキュメンタリー、アニメーションなど様々な分野の方々がVRに表現の可能性を見つけようとしているのを実感して、その辺りが自分としても刺激的でした。 ■まず主要キャラを紙粘土で造形 実写で役者の演技を参考に --作品の制作過程についてもお聞かせください。制作はいつ頃から、どれくらいの時間をかけておこなわれましたか? また、どのような工程で制作されたのでしょうか。 石丸:初めに山村さんにプロットを読んで頂いたのは、2021年の4月くらいでした。実際に完成したのは2023年の5月末で、そこから多少修正はありつつ、『ヴェネチア国際映画祭』に出品したりしました。なので、大体2年半くらいかかった計算になります。 山村:ワークフローに関しては、VRの作品ごとに違うんだろうなと、作りながら実感していました。今回も、ラボのスタッフたちのお力を借りながら制作していきましたが、手探りの部分も大きかったんじゃないかなと思います。 いろんなVR作品を見て、どのように小川さんのプロットをVRにするかを考えた時に、平面(2D)のアニメーションで作る可能性も最初の段階ではあったと思うんですが、僕としてはやはり「3Dに挑戦してみたい」という思いが強くありました。 ーーそのように思われたきっかけがあったのでしょうか。 山村:それはやっぱり、擬似的な立体空間の中で、広大な奥行きではなく、手元に近いところの小さな立体感を感じた瞬間であるとか、そういうところがVRの体験として面白かったことですね。3D映画などと異なる、VRだからこその体験をとても面白く感じて、どうしても平面だと描き割り的な表現になってしまうので、「どうせ初めて挑戦するなら、3Dもやってみたい」と。 その上で、3Dのプロットをどうアニメーションにしていくかという試行錯誤を始めとして、色々なプロセスを踏んでいくことになりました。今回でいうと、絵でデザイン画を起こしてイメージを作っていくところから始まっていますが、いわゆる三面図だけでは伝わらないと思っていました。 そこで、イメージを立体でも伝えることにしたんです。粘土や立体のアニメーションも作ったことがあったので、キャラクターのイメージを3Dモデラーの方に伝えるために、主要キャラクターの人形を紙粘土で作りました。 また、小川さんのプロットからテキストの部分をなるべく活かしていこうという方針を決め、全体にナレーションが入る構成にしました。そこでまずナレーションの録音をした上で、全体の流れを作っていき、それに沿ってアニメーションの演技をつけるのに、どのようにアニメーターに指示を出すのか難しいところがあって。今回、モーションキャプチャーは使っていないのですが、ナレーションに合わせて役者さんがどのように動いて演技をするか、実写でサンプル映像を撮影する流れになっていました。 僕としては今回、デザインを主に担当したのと、声の演出、サンプル映像の役者さんへの演出という感じで、アニメーションの演出というよりは実写の演出をしている感覚が大きかったです。もちろんアニメーションが上がってきた時は監修がたくさんあったんですが、大体のワークフローとしてはそんな感じです。 ■どのように山村の作風を活かすか 背景描写も見どころに --一般的なアニメーションと異なり、インタラクティブ性の高いVR作品は視線の誘導など、既存の技術の応用が難しそうですよね。本作で工夫したポイントがあれば教えてください。 石丸:難しさの話でいえば、小川さんのプロットをはじめて読んだとき文章があまりにも素晴らしかったので、削りたくないと思いました。削るとせっかく小川さんに原作を書いていただいたのに小川さんらしさが損なわれると。そこで山村監督と相談して、モノローグといいますか、朗読劇の形にしようと決めました。そこから書かれた本をめくるインタラクションでストーリーや映像が進む、いわば自分で物語をドライブするアイデアが生まれました。 自分で物語をドライブさせていく感覚と、小説を読むように映像を見るという体験を実現できれば勝ちだなと直感的に思っていました。けれど、一方でそれがうまくいかなかったらどうしようとも思いながらやっていました(笑)。でも山村さんが一貫して大丈夫です、と背中を押してくださったので助かりました。 ページめくりアイデアはこの作品の幹になるインタラクションなので、わかりやすさにも気を遣いました。例えば、どこのシーンでページをめくらせるか、めくらせないのか。めくらなければ物語が止まったままになってしまうので、シーンを白黒にしてアニメーションが止まっていることを認識させやすくしたり、ページをめくれる時にはページの端が光るなど様々な工夫を加えたり、つながりのいいシーンではページめくりを入れないなど、細かく演出ました。山村さんからも色々なアイデアをいただきました。 ――山村さんの作風を実現するのに苦労されたことはありますか? 石丸:大きくは2つあります。1つは、どうやって山村さんの独特のキャラクターアニメーションスタイルを実現するか。まずは山村さんの過去の作品を現場のスタッフに見せて、こういった感じのアニメーションをCGで実現するかブリーフィングをしました。 アメリカのスタジオにアニメーションをお願いしたのですが、最初に上がってきたのがディズニーっぽい滑らかなアニメーションで、このサンプル版は山村さんにも見せましたが、これは違うだろう、となりました。全部アニメーションをつけてからでは遅いので、一回立ち止まってどうやったら山村さんらしい動きになるかを考えました。 結果としては、日本側にアニメーションのディレクターを新たに起用して、演技の方向性を変えることにしました。具体的にはディズニーのような滑らかなヌルっとした動きではなく、溜め詰めがあり静と動がはっきりした演技プランに変えました。それを舞台役者さんに実際に演じてもらい、なんとなく行けそうなところまで持っていき、山村さんに提案する形をとりました。 演技収録の際に山村さんからさらに細かい演技の指導やエビのダンスを役者に踊ってもらったりして、実験的でユニークな方法になりましたが非常にわかりやすくて効果的なレファレンス映像を作ることができました。これをアメリカのスタジオに送ったことで演技の方向性が非常にクリアになり、迷いなくアニメーションを付けられるようになりました。 もう1つはキャラクターの造形です。VRのキャラクターデザインが難しくて、その辺りを山村さんに相談して調整した記憶があります。具体的には山村さんに書いていただいた三面図通りにCGモデルを作っても、VRの中は「実在感」と「リアリティ」をより強く感じるので、縮尺的に顔が想像をはるかに超えて大きく見えたりするんですね。そこが許容できる範囲で、かつ山村さんの作風をキープできるラインを見つけるのにはずいぶん苦労しました。 他にもキャラクターをアシンメトリー(非対称)に作ってみたりしたんです。山村さんのアニメーションはそういうデザインが多いので山村さんらしさが出るかなと想定したのですが、実際にVRで見てみると違和感が勝ってしまい「シンメトリー(対称)の方がいいんじゃないかな」という話しになり、全体的にはシンメトリーにして、目や顔の輪郭以外の細かなところで歪みを入れるようにしました。 山村:なるべく食い違いが起こらないように人形を作りましたが、実際に3DモデルとしてVRに持ってきて他のキャラクターと並べたりすると、かなり印象が違いましたね。身長の差も含めてバランスを調整しないと違和感が出てくるというのがあって、試行錯誤していく必要性を実感しました。 それから、僕のアニメーションの線や質感がガサついていて、揺れている感じを、3D側で工夫していただいて効果的になったように思います。質感はプログラマーの方々が苦労された部分だと思うんですが、僕もゲームエンジンを理解するのに時間がかかりました。3D映画を作るイメージで演出していたので、何でもできるんじゃないかと思ったんですが、読み込んだ時の容量制限があることなど、VRならではの制約がだんだん分かってきたので、半分は妥協しつつ、反面それを活かせる方法でお願いしていく形にして。そうした中で正解を見つけていった感じでしたね。 石丸:こうしたトライ&エラーを繰り返しながら制作を進めるうえで、山村さんにすごく感謝している部分があります。それは、山村さんがスゴく筆が速かったのでCG背景用の素材をかなりたくさん描いていただたことです。 例えばシーンごとに映像をチェックしている時、後ろや横の景色に情報量が足りなくてスカスカしているなと感じることが多々ありました。そうすると、そんなときに進んで背景を書いてくださり、見違えるほどリッチな背景にすることができました。本棚に並ぶ本なども、年を経るごとに変わっていくのを1つ1つ描いて頂きました。 細かなところですが、意外と気づいてくれる人は多くて。「本棚の本のレパートリーに萌えた」なんてコメントも頂きました。少年の成長を少年部屋360度全体の変化で表現したのですが、山村さんの細部へのこだわりがあってこそ実現できたと思っています。 山村:本棚の本はドローイングに時間が一番かかったかもしれないです。スゴく楽しかったですけどね(笑)。一応、設定としては1970年代後半をイメージして入れ込んだつもりです。最初は国も年代も決まっていなかったのですが、プロットを読んだ印象と、小川さんのどこか無国籍なイメージもあって、寂しい感じから連想してポーランドのクラクフという古い街のイメージを表現しました。そのうえで、戦争の爪痕みたいなイメージもプロットの中にはありましたので、そこを踏まえたうえで、だんだん日本に寄せていく方向にしました。 〈後編へ続く〉
真狩祐志