電車トラブルが起きると、ネット民がいつも「駅員の味方」をするワケ
二項対立からの脱却
しかし、だからといって女性への一方的な批判が正当化されるわけではない。むしろ、この事例を通して浮き彫りになったのは、日本社会における ・バリアフリーの不備 ・障害者の移動権に対する理解の乏しさ ではないだろうか。SNSの普及によって、一般の人々が気軽に意見を発信できるようになったのは喜ばしいことだ。しかし、そこで交わされる議論が、本質的な問題から目をそらし、個人への誹謗中傷に陥ってはならない。 確かに、駅員は懸命に職務を遂行し、誠実に対応したのだろう。しかし、だからといって、障害者の移動権の問題を矮小(わいしょう)化してしまうのは、本末転倒だといわざるを得ない。設備の不備に責任がある駅員を非難することは適切ではないが、だからといって、 「根本的な課題」 から目を背けるべきではないのだ。この出来事は、SNS上の議論の偏りを浮き彫りにしたといえる。 ・障害者の権利 ・駅員の立場 が対立的に語られ、建設的な議論が置き去りにされてしまった。私たちは、こうした二項対立に陥ることなく、多角的な視点から問題を捉える必要がある。 そのためには、障害者の思いに寄り添うことはもちろん、現場で働く駅員の苦労にも目を向けなければならない。「お客さまは神様」という発想に縛られず、従業員の立場に立って考えることが求められる。その上で、バリアフリー設備の充実など、根本的な解決策を探っていくべきなのだ。
鉄道会社の支援必要性
こうした「従業員憑依」の背景には、先に述べた3つの要素が複雑に絡み合っている。駅員の業務上の立場、制服が与える印象、そして二項対立的な思考。これらが重なることで、駅員を「格上の存在」だと勘違いし、過剰に同調する風潮が生まれている。 しかし、こうした「従業員憑依」”は、本質的な問題の解決を妨げるだけでなく、最前線で働く駅員を不当におとしめることになる。 鉄道ユーザーひとりひとりが、駅員を「仲介者」として意識することは重要だ。彼らは乗客と経営陣の間に挟まれながらも、安全で快適な鉄道サービスを提供するために懸命に働いている。ときには理不尽な要求や暴力に直面することもある。そんな第一線で働く人たちの苦労を想像し、理解する必要がある。 同時に、鉄道会社は「仲介者」の重要性を再認識し、彼らが働きやすい環境を整える必要がある。現場の声に真摯に耳を傾け、適切な支援と権限委譲を行う必要がある。鉄道サービスの質は、最前線の担い手が能力を発揮してこそ向上する。 駅員は決して「格上の存在」ではない。「従業員憑依」のような安易な態度ではなく、駅員をパートナーとして尊重し、協力していくことが何より重要なのである。
昼間たかし(ルポライター)