“レジェンド”GKの川口が、J3で40歳の開幕!
今シーズンから規模を16チームに拡大させたJ3で、約2か月遅れの開幕を迎えるレジェンドがいる。創設9年目のSC相模原に加わりながら、開幕直前に負った左足首捻挫で戦列を離れていた元日本代表GKの川口能活(40)が、8日のブラウブリッツ秋田戦(相模原ギオンスタジアム)で初先発することが決まった。 ゴールキーパーとして歴代最多、フィールドプレーヤーを含めた全体では同3位となる116もの日本代表キャップを獲得。4大会連続でW杯に出場した不惑のレジェンドは、なぜ活躍の舞台をJ3に求めたのか。 契約満了に伴い、2年間プレーしたJ2のFC岐阜を退団することが決定した昨年11月。川口は「このままでは終わりたくない」と、現役続行への強い意志を示していた。 開幕前から違和感を覚えていた右ひざが、5試合を終えた段階で激痛に変わった。川口自身が保存療法を望んだため、戦列復帰が11月23日の最終節にずれ込んだ経緯も、現役続行への思いを後押しした。 そうした状況下で、電光石火のオファーを出したのが相模原だった。クラブの創設者にして現在は会長を務め、川口の母校・清水商業高校(現清水桜が丘高校)の2年先輩でもある望月重良氏は、昨年夏に試合出場していなかった川口に声をかけている。 「岐阜で試合に出ていなかったから、気になったんですよ。どうしたのかと聞いたら、けがをしていたと。あと半年、岐阜で精いっぱい頑張るというので、もし何かあればと話して、そのときは終わりました」 望月会長は川口の退団発表を受けて、満を持してアクションを起こす。けがの回復具合を含めたすべてをチェックし、十分に戦力になると判断したうえで、交渉の席で思いの丈を訴えた。 「このまま終わってほしくない。ウチでもうひと花咲かせてほしい。一緒にやろう」 川口は四半世紀前にも、望月会長からオファーを受けている。川口が東海大第一中学の3年生、ふたつ年上の望月氏が清水商業高の2年生だった1990年秋。中高校生が合同で参加する静岡県選抜合宿で、本来ならば系列校の東海第一高校へ進学するはずの川口を清水商に勧誘したのが望月氏だった。 当時の川口は、すでに県下で名前の知られる存在だった。清水商の名物監督、大滝雅良氏の密命を受けた望月氏から「お前、ウチに来い」と強引なラブコールを送られた川口は清水商へ進学。3年時にはキャプテンも務め、全国高校選手権で頂点に立った。