【若者たちへ】障害を「個性」と受け入れて 「夢、目標、一日」一生懸命楽しむ パラアスリート・富田宇宙さん
パリ・パラリンピックの競泳2種目で銅メダル2個を獲得した富田宇宙さん(35)=熊本市出身=が10月上旬、母校の西原中で講演した。障害を「個性」として受け入れる共生社会の実現や、誰もが自分らしく生きていく大切さを訴えた。(後藤幸樹) 水泳を始めたのは3歳の頃。人前で話すことが好きで、西原中では生徒会副会長を務めた。済々黌高でも水泳部に入った。宇宙飛行士になるために数学や理科を必死に勉強した。1年間は順風満帆だった。 2年生になって黒板の文字が見えづらくなった。病院で検査を受けたら、目の視力が徐々に失われていく網膜色素変性症という障害があることが分かった。人生終わったなと思った。 ただ水泳は続けた。仲間とリレーで九州大会に行こうと約束していたからだ。日本大では社交ダンスに熱中した。 大学卒業後はシステムエンジニアになった。障害がない人と同じように働いたが、限界を感じた。私にしかできないことをやらないといけないと思い、パラリンピックが浮かんだ。働きながらトレーニングに通い、アスリートとして雇用してくれる会社に転職した。
東京パラリンピックを目指すために日本体育大大学院に入学し、水泳部でオリンピック選手らと切磋琢磨[せっさたくま]した。新型コロナ禍では熊本市の実家に大人1人分の簡易のプールを設置して、腰にひもを巻いて練習した。東京パラで銀二つ、銅一つのメダルを獲得した時、「この瞬間のために障害を背負ったのかな」と受け入れられた。 スペインに活動拠点を移し、パリ・パラでは1万8千人の観客の前でメダルを獲得した。東京は無観客だっただけに感動した。パラアスリートになれたことや自分の障害にも感謝した。 実現したいのは、個性を認め合える共生社会だ。そのために、みんなに自分らしく生きてほしい。人は身長が違ったり、肌の色が違ったり、いろんな特徴を持っている。障害者も同じ。ただ個性がある。それだけのことだ。 自分らしく生きるために夢を持ってほしい。マイナス面も含め、他の人にはない自分だけの特徴を理解することが大事だ。普通の人がダンスを踊るより、私の方が注目を集める。私は目が見えないからパラアスリートになれた。