“働き方改革”がお菓子大国フランスの「ムース」流行に火をつけた
社会や文化の変化とともに、お菓子も変わっていく。また、その他の料理と同じように、技術革新のおかげで新しいお菓子が生まれることもある。お菓子の流行り廃りは、消費者ではなく、作り手の都合に左右される場合もあるのだ。 【画像】現代のムース流行の「きっかけ」となったフランスの大統領 社会の変化とお菓子の流行がリンクしている代表的な例は、フランスのムースだ。その意外な歴史を、パティシエの吉田菊次郎が解説する。 ※本記事は『万国お菓子物語 世界をめぐる101話』(講談社学術文庫)からの抜粋です。
「飽食の時代」にピッタリのお菓子
現代は飽食を通り越して過食の時代といわれている。おいしいものはもっと食べたい。でももうお腹はいっぱい。そんな時には、より軽く口当たりよく、胃に負担をかけないものがいい。 そうした要望を満たしてくれるのがムースと呼ばれるお菓子の一群である。ムースとはフランス語で泡の意味。すなわち気泡をたくさん含んだケーキ類で、これならいっぱいのはずの胃袋にもさらにひとつやふたつは収まってしまう。 さて、お菓子大国フランスに、アントナン・キャレーム(1784─1833年)という人がいた。十八世紀末から十九世紀にかけて活躍した、お菓子作りの神様と謳われた大巨匠である。 彼の残した手引き書には、すでにいくつかのムースが記されている。彼がターゲットとしていたのは王侯貴族で、いわば過食飽食の富裕階層。「予は満腹じゃ」、「もう入らないわ」という人たちに、「ではかようなものを」と供したのがかくいうムースの類である。時移れど状況変わらざれば、求めるものもまた変わらじ。商品開発のヒントも実はこんなところにあるのでは。
ブームのきっかけは「政権交代」
ところでものごとにはなべてきっかけというものがある。昨今のこのムースブームについても例外ではない。 ミッテランが大統領となり、フランスに社会主義政権が誕生した時がそれ。彼は労働時間の短縮をうたって当選した。 ところがお菓子屋というものは少量多品種という、いってみれば効率の悪い職業の代表のようなものである。時間短縮は働く側にとっては喜ぶべきことであろうが、正直いって仕事にならない。 人間困れば考える。彼らは試行錯誤の末、急速冷凍の技術に着目し、ショックフリーザーの導入に活路を見出した。 通常の緩慢凍結の場合、お菓子の中に含まれる水分は次第に寄り集まって、大きな水滴になったところで凍結する。したがって解凍時には大きな結氷が溶解するためにまわりの組織を侵し、たん白の老化を促進させてしまう。これがいわれるところの、〝冷凍ものなんか食べられるか〟の不信を生んだゆえんである。 ところがマイナス四十度程の冷気を吹きつけて瞬時に凍結させると、お菓子の中の水滴は寄り集まる間もなく微粒子のまま凍ってしまう。解凍にあってもそのままフッと戻せば、元通り。できたてをタイムストップしてしまうわけで、なまじ前日とか早朝に作ったものよりも、作り置きの方が鮮度が良く、お客様に対してはこの方がより親切ということにもなる。