【霞む最終処分】(12)第2部「変わりゆく古里」 先祖代々の地に地上権 返還時安心の場所に
2014(平成26)年8月、県は東京電力福島第1原発事故に伴う中間貯蔵施設の受け入れを容認した。建設地に含まれた双葉町郡山地区の約120世帯の住民は大きな決断を迫られた。愛着のある古里の土地を手放すか、それとも地権者が所有権を持ったまま土地を貸す「地上権」を設定するか―。正八幡(しょうはちまん)神社氏子総代の大須賀義幸(80)も自問自答を繰り返した。「どうするべきか…」。悩み抜いた末、地上権を設けた。先祖代々の土地を簡単には渡せないという覚悟の表れだった。 人生のほとんどを古里・郡山地区で過ごしてきた。農家の家系で生まれ育ち、相馬農高(南相馬市)を卒業後、コメやタバコ、蚕などを手がけてきた。20歳を過ぎたころに兼業農家となった。東電の関連会社に勤め、福島第2原発建設の際の資材運びなどを担った。3人の子どもに恵まれ、穏やかな人生が終生続くと信じた。 ◇ ◇ 原発事故で暮らしは一変した。全町避難で古里を追われ、川俣町や福島市など県内各地を転々とした。自宅は警戒区域となったが、「いつか必ず帰れる」と信じていた。ところが、政府は2012年3月に大熊、双葉、楢葉の3町に中間貯蔵施設を設置する考えを示し、協力を要請した。「もう戻れないのだろう」と感じ、2016年にいわき市に自宅を再建した。
郡山地区の自宅や田んぼ、畑は先祖代々受け継がれてきた大切な場所だ。祖父や父らが生活を営み、自らも約60年を過ごしてきた。思い出は数え切れない。環境省との交渉では、地上権を設定して次世代に引き継ぐ意向を伝えた。住み慣れた自宅は6年ほど前に解体され、敷地に除染土壌が運び込まれた。 ◇ ◇ 法律で定められた除染廃棄物の県外最終処分の期限である2045年3月まで21年余り。地上権設定の契約書には「返還の際、原状に復す」と示されている。ただ、大須賀は「元の状態にするだけではなく、子や孫が安心して帰れる地にしてほしい」と声を大にする。最終処分を実現し、帰還できるようになってもどれほどの住民が戻るかは見通せない。郡山地区の地権者からは「希望を持って生活できる場所にすべきだ」との声が上がる。 「国は原発事故前よりもにぎわいを生み出し、その上で土地を返還する責任がある」。大須賀は強く訴える。(敬称略)