「神の声」が途切れた時、人類の「その後」を大きく変えた「三つの大発明」とは?
IT技術がグローバル化を加速し、AIの使用が本格化した現代は「文明の転換期」だといわれる。しかし、「コンピュータや通信技術の発展だけが、文明の転換なのだろうか」と、東大名誉教授・本村凌二氏はいう。1000年単位のスケールで歴史をみれば、文明が転換するとき、人間も変化している、というのだ。講談社選書メチエの新シリーズ「地中海世界の歴史〈全8巻〉」の第1巻『神々のささやく世界』と第2巻『沈黙する神々の帝国』は、現代人と古代人の間にある大きな断層を描き出している。 【写真】神の声を聞く
幻聴でも「気のせい」でもない
かつて、人間には「神々の声」が聞こえていた。その声が聞こえなくなった時が、最初の「文明の転換期」だった――と、「地中海世界の歴史」の著者・本村凌二氏はいう。 〈古代の史料や古典文面をひもとく読者には、古代の人々が当然のごとく記す、命令する神々とそれに従う人間という神話や伝承は、必ずしも妄想や絵空事とは思えない。少なくとも、実証史学の研究者である筆者には、迷妄の人間たちとして切り捨てる気にはならなかった。〉(『神々のささやく世界』p.320) むしろ太古の人々には、神の声が幻聴でも「気のせい」でもなくリアルに聞こえていた、という前提で読んだ方が、そうした史料は理解しやすい、というのだ。 その痕跡は、紀元前3千年紀からメソポタミアのシュメール人に伝わる物語、『ギルガメシュ叙事詩』や、前10世紀頃から長年にわたって文書化された旧約聖書のなかにも認められるという。 神の声を聞く人間の様子が図像として残されているものもある。それが前18世紀のバビロニアで作成され、ルーブル美術館が所蔵する〈ハンムラビ法典碑〉だ。神が下した裁定を列記した石柱の頭頂部の浮き彫りに、それが描かれている。 〈ここで崇める神とは太陽神シャマシュ(中略)であり、その従僕としてのハンムラビ王が神の前にいる。シャマシュ神はどっしりと座しており、ハンムラビは一段低い位置に立っている。ハンムラビは熱心に耳を傾け、何かを理解しようとしている。神の右手には杖と輪が握られており、いずれも力の象徴とされるものである。シャマシュ神は手にした象徴でハンムラビの左肘にふれているかのようである。この場面で心を打たれるのは、シャマシュ神とハンムラビ王が一心にお互いを見つめ合っている姿である。どこかとりつかれたかのような確固たる表情であり、神も人も平静で威厳がある。〉(同書p.285) この石柱に刻まれた282条の裁定は、冷静で理路整然とした、沈着な神の判断である。客観的で無駄なく綴られた文章であり、穏やかなシャマシュ神の声が響くかのようである。 〈おそらく、法文はこの地域の慣習法に形を与えたものであろうが、シャマシュ神の声で語られているということが大切であるのだ。それがなによりも強制力をもつのである。この石碑に刻まれているというだけで信頼に値するのであり、人々の心を動かすのである。少なくとも古代の人々には神々の声は絵空事ではなく、肌身に感じられることだったのだ。〉(同書p.286) メソポタミアでもエジプトでも、神あるいは神々は、まず「声」として感じられるものだった。しかし、いつのころからか、その声が人間たちには届かなくなってしまう。 「神々の沈黙」は、紀元前1000年前後の数百年間に、起こった事態だった。この時代に現れた預言者たちの言葉や、旧約聖書の「詩編」などは、神に見捨てられた人間の嘆きと哀願に満ちている。 そしてこの時代、東地中海地域では、人類史に画期をなす大きな「三つの発明」がなされていた。それは、アルファベット、一神教、貨幣である。