主砲を挑発「高い年俸を貰う必要ない」 Bクラス脱却へ…西武新監督がもたらした劇薬
ベテランには辛口の“刺激”…「隙を与えない。細かい野球」で頂点に
広岡監督はベテラン勢には配慮した。「ある程度特別メニューがありました。全て一緒に練習というのは無理ですからね」。その上で辛口の“刺激”を与えた。「『コンチクショー』って思わせるんだよね。それが良かったみたい。主砲の田淵(幸一内野手)さんに対して『守れないのなら高い年俸を貰う必要はない』とか言ったり」。指揮官は奮起を促すため敢えて“挑発”したのだろうか。「だと思いますけどね」。 ライオンズは「西武」となってから3年連続でBクラスだった。しかし、4年目は劇的に変身した。前期優勝を果たし、後期を制した日本ハムとのプレーオフ。敵の絶対的な守護神・江夏豊投手をバントやセンター返しで攻略するなど3勝1敗で制し、初のリーグ優勝に輝いた。松沼氏は「やっぱり細かい野球じゃないですかね。それまでの西武の野球にはなかった」と勝因を挙げる。 西武は中日との日本シリーズも4勝2敗で制して12球団の頂点に立った。松沼氏は、シーズンでは11勝を挙げた弟に次ぐチーム2位タイの10勝。日本シリーズでも第1戦を任されるなど、2度の先発で日本一に貢献した。「ベテランの人たちは、やっぱり最初は広岡さんに反感を持っていたのではないでしょうか。食事制限とか練習がキツイとか。だけど、どんどん勝って優勝しちゃうと、そういう気持ちも和らいでいったと感じます」。 西武初代の根本陸夫監督から2代目・広岡監督へのバトンタッチで何が変わったのか。「真逆でした。根本さんが監督の時は凄く生活がしやすかったですね。広岡さんは隙を与えない。こうやって勝つんだな、と思いましたね」。“管理野球”の広岡監督は1985年まで指揮を執り、4年間で3度のリーグ優勝に2度の日本一。黄金時代の幕を開けた。
西村大輔 / Taisuke Nishimura