80年前は露店だらけの街だった秋葉原が今の姿になるまで~「家電→PC→メイド喫茶」と“主役交代”の歴史をアナログ写真で辿る~
以前の大規模家電店のほとんどは新しいビルに建て替わり、ゲーム関連商品、キャラクターグッズ、フィギュア専門店、外国人観光客向けの免税店などになっている。今やこの街は“世界のアキバ”、日本を代表するポップカルチャーの街になっている。 ■“基幹産業”になったメイド喫茶 現在の秋葉原はと言うと、平日の昼間も大変な人混みで賑わっている。道をゆく大半は20代前後の男性客だが、外国人観光客も多い。街のあちこちではビラ配りのメイド喫茶のメイドさんの姿も見かける。
夕方以降、中央通り沿いにずらりとメイドさんが並ぶ。このメイドさんたちの列は駅前だけでなく、地下鉄銀座線の末広町駅近くまで約500メートルほども続き、秋葉原名物とも言える風景になっている。 20年ほど前に発祥したメイド喫茶という業態だが、いまだこんなに盛んで、量的にも拡大しているとは。メイドは完全にアキバのアイコンであり、メイド喫茶はこの街の基幹産業ともなっていると言えそうだ。 ■現在も変わり続けている秋葉原
2024年には秋葉原のランドマークの一つでもあり「肉ビル」としても知られた「肉の万世 秋葉原店」が閉店。現在ビルは解体中。また、駅前中央通り沿いの一等地、エディオン、ラオックス、オノデンなどのある区画の再開発も画策されている。 一方で、裏通りに入るとまだパソコン店や電子部品の店が点在し、駅前のラジオセンター内を覗いてみると無線機や真空管ラジオ、蓄音器、音響部品、8ミリ映写機などを扱っている店が密集していて、昭和の秋葉原を味わうこともできる。
現在はメイドさんが街のアイコンとなっている秋葉原だが、こうして昭和戦後からの街の歴史を概観してくると、十数年後、このポップカルチャーの街がまた大きく性格を変えていることも考えられるのだ。常に、アキバの街の風景はうつろっている。
鈴木 伸子 :文筆家